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1988年
(昭和63年、戊辰)
   

1989年
(昭和64年、己巳)





 1991年
(平成3年、辛未)

 世の中は進歩して、商品名をプリントゴッコという家庭用の便利な印刷機が普及していた。原稿と原紙と重ね合わせてセットし、ランプをピカッと光らせるとそれだけで、原紙に原稿の通りに細孔があく。インクをのせて葉書に刷る作業も随分と簡単になっていて、毎回、版に絵の具を塗らねばならない版画の大変さとは雲泥の差である。このキットを購入して使うこととし、絵の方は、前年までのゴム版から気分を一新して点描にしてみた。色数は少ない方が上品なような気がして、版画時代からの単色を引き継いだ。竜の絵から始まったこの方式が以後も続いていくことになる。
 プリントゴッコは、学校などで以前はよく用いられていた簡易印刷法の謄写版、通称ガリ版が、家庭用の葉書印刷機に進化したものである。ガリ版といえば、昔、母が同好の士を募って始めた俳句会が思い出される。我が家は手狭だったので、近くの絵描きさんのお宅や、少し離れた小山の上の意賀美神社が句会の会場であった。句会で発表された俳句は、まとめてガリ版で印刷して参加者に届けていた。小学校低学年の私は、ほとんど俳句を作らなかったが、それでもおとなしく部屋の隅に座っていたし、また野山への俳句行にもついて行った。今にして思うと、それら句会や吟行の経験が、私の言語感覚の涵養に大いに役立った。

(追記)俳句雑誌「春星」に私の作品が残っていることを、当時の枚方句会のメンバーで現在は同誌の主幹である松本島春さんより教えていただいた。恥ずかしながら、平成22年7月号の巻頭言で紹介されている。(昭和49年の年賀状の追記参照)

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1990年
(平成2年、庚午)

 マザーグースの歌から白い羊が出てくるものと黒い羊が出てくるものを選んで、カントリーサイドの雰囲気の中に並べた。ひとつは「メリーさんの羊」である。アメリカへの留学が迫っていた時期に、子供達にもあらかじめ少しでも英語に触れさせておいた方がよかろうと、マザーグースのカセットテープを購入、子守歌がわりに聞かせた。私がさほど有名でもない「Baa Baa Black Sheep」の歌を知っているのは、そういう次第である。
 画面には、羊以外に、鳥や亀や蛙や虫たちを適当に思いつくままに配置した。トンボ、蝶、バッタを描いたが、地球上の生物の中で最も種類の多いのが昆虫である。それぞれ多様な環境に適応して別の種を形成していった。その中で特異なのがカイコである。種名はカイコガであるが、その幼虫すなわちカイコは、食物を求めてあるいは繭を作る場所を探して大きく移動することはない。成虫には羽はあるが飛べない。何千年も飼い続けられて人為淘汰を受け、人間の保護のもとでしか種族の維持ができないように「進化」してしまった。
 交通機関が発達し、快適な人工環境の中に暮らす私達は、足腰が衰え、環境への適応能力が退化して、冷暖房なしには過ごせない「カイコ人間」になってしまいそうだ。かつて2年間の滞米生活を終えて帰国の直後、鞄を抱えて駅まで走ると息切れがする自分に気付いて愕然とした。車社会の落とし穴である。それで時々ジョギングをするようになり、後にはハーフやフルのマラソンを走る市民ランナーへと進化していく。

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1992年
(平成4年、壬申)
       

 不可能立体の骨組みに、将棋の桂馬とチェスのナイトを置いてみた。両者は盤上で対角線からずれた斜め方向に飛べるという点で類似するが、桂馬の動き先は前方2カ所なのに対して、ナイトは8方向に進むことができる。すなわち、将棋とチェスは適度に類似し、適度に別物である。
 小学生の頃には友達と将棋を指して遊び、中学1年で囲碁を覚えたが、チェスは大学に入った年に携帯式の盤と駒のセットを購入してやってみたのが最初である。実は、ある企みをもってチェスを始めた。将棋では歯の立たない親友がいて、囲碁の方は、私の方が覚えたのが早かったため優位を保っていたが、やがては互角となり、ついには追い抜かれてしまった。ここで一矢報いようと、チェスの駒の動かし方を覚え、少しゲームの要領がわかったところで、件の友人を呼び出した。得意顔でチェスのルールを説明し終わって、いざ実戦である。ところが、素人相手に圧勝という私の思惑は見事に外れ、結局、最後は手詰まりで引き分けとなってしまった。しかも、かくかくしかじかで、勝負はつかないんだよ!と相手から教えられる始末である。第2戦は確か完敗だったと思う。あまりの意外さに、悔しさを通り越して、ただ感心することしきりだった。ひとつのことを十分に身につければ、ほかのことにも立派に通用するという実例をみた。
 この友とは、学生時代、一緒にあちこちを旅行した。彼は、魚釣り竿と折り畳み式の碁盤を持参したりした。行き先などあまり決まってなくて、釣り糸をたれながら木陰で碁を打ってくつろぐといったゆったりした旅が多かった。

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 幼い頃、夜中などに天井裏でバタバタと音がして怖い思いをしたが、石臼が居るんだよと教えられた。栗や蜂に攻撃された猿が、最後に上から落ちてきた石臼に降参するという猿蟹合戦で最強のキャラクターである。父の膝で、数々のおとぎ話類を繰り返し聞いたが、絵本が無かったので、石臼は私にとってまったくの未知物だった。実は天井の音は蛇が逃げるネズミを追いかけて捕まえるバトルだったが、蛇と聞けば怖がって眠れないかもしれないとの配慮で石臼の登場となったのであろう。
 昔はどこの家でも蛇の1匹や2匹は屋根裏に住んでいたものだが、最近は住宅の構造も周囲の環境も蛇には適さなくなったようだ。それでもちょっと田舎道を歩けば蛇に出くわすことは珍しくない。ところがメダカやドジョウなどのありふれた魚たちがいつの間にか周辺から姿を消して希少種になってしまった。私の家から駅までの10分足らずの道のりにも、かつてはオタマジャクシやザリガニのいる田圃や水辺があったが、埋め立てられて住宅地に変わりつつあった。この年の梅雨期の大雨で、新しくできた道路に水があふれて、なぜか大きなフナが1匹、道路上で行き場を失っていた。以前お世話になった友人がたまたま来訪、1泊した翌朝のことで、2人で救出した魚をバケツに入れ、川へ逃がしに行った。童心に帰って楽しめたと友人もご満悦であった。
 自分の周辺の自然が開発により失われていくことが許し難く思えたりする。しかし、私が住んでいる住宅地は、かつて同様にして田圃や湿地を埋め立てて出来上がったものである。

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 見ざる、言わざる、聞かざるをトランプのカードで描いてみた。キング、クィーン、ジャックには武器や花のかわりに、猿の好物のバナナを持たせた。実は普通のトランプでは、ハートの王様は頭の後ろに剣を振りかざしていて、それで「自殺キング(Suicide King)」というニックネームがついている。奇術を趣味としていると、こういったトランプについての雑学にも強くなってくる。本来トランプは切り札を意味する言葉である。トランプ手品の解説書のはじめのところには、必ずといってよいほど、トランプではなくカードという用語を使うようにと書かれている。昔、欧米人に対してトランプという言葉が通じなかった奇術師のトラウマが、現在にまで生き残っているのかも知れない。
 ところで、日光東照宮の三猿の彫刻は、幼年期の猿で、「子供の頃は悪いことを見たり、言ったり、聞いたりしないで、素直なままに育ちなさい」という教えが込められているらしい。子供が純真な間は、進化論などを教えず、神様が存在すると教え込みなさいという考えは、アメリカでは少数派ながらも適度の市民権を得ているらしい。科学的真実から目をそむける姿勢には、まったく共感できない。しかし、もし幼い子に、赤ちゃんはどうやって出来るか?と問われたら、学校でまともな性教育を受けてこなかった私は、科学的真実よりも「こうのとり」で済ませたくなってしまいそうだ。

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