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1993年
(平成5年、癸酉)
  
1994年
(平成6年、甲戌)

 この年の1月に名古屋工業大学奇術同好会が発足した。名工大に来てほぼ11年、ようやく念願の手品サークルを立ち上げることができたが、会員はすべて私の所属する応用化学科の学生であった。2年生への講義の後に手品を一つ披露して、会員を募ってみた。授業は終わりといっても、まだチャイムのなる前であることに留意し、化学に関係のある出し物として、無機化合物で細工したトランプを用いた。トランプの箱を見せ、学生に任意に1枚の名前を言わせてから、ケースを開けて1組のトランプを取り出すと、学生の指定したカードだけが裏向いている。この不思議が受けたか、目出度く男子4名、女子4名が入会を申し出てきたという次第である。以後、週に1回、お昼の休み時間に大学会館の和室で学生達と手品を楽しむことになる。半年後には、留学生歓迎会に出演の機会を与えられた。学園だよりの2003年7月号には、大学祭のステージで奇術を演じた後の学生達に囲まれた私の写真が載っている。
 ところで年賀状では、安野光雅の不思議絵の世界に2匹の犬を配してみた。家にはこの12年前の戌年から飼っている犬がいた。かつて同僚に、何という犬?と尋ねられて「ペロ」と答えて笑われてしまった。求められていたのは、柴犬とかスピッツとかいう答えだったが、ペロはこの絵の雰囲気からは程遠い毛むくじゃらの雑種だった。庭から出て行かないように、日曜大工でせっせと柵を作ったが、努力は空しく、何度も夜中に脱走された。それでも近所から賢い犬という評価を得ていたのは、ロープなしで散歩に連れて歩くことが出来たからである。

(追記)サークルは定年退職の1年前の2005年4月に大学公認の部活動「マジックサークルNIT」に昇格、22年来の夢が実現して初代の顧問となることができました。

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 1996年
(平成8年、丙子)



 一昨年に母を亡くしたため、猪の年賀状は作らなかった。自然を友とし、俳句を楽しむ人生で、「路」「須美礼野」等の句集を残し、そして何よりも、姉、兄、そして私と3人の子をこの世に残した。母が女学生時代より師事していた大阪の俳人青木月斗のお墓が京都東山の麓の金福寺にあって、偶然ではあるが、学生時代の一時期、私はそのすぐ近くに下宿していたことがある。
 このネズミの賀状は、一部の方にしか出さなかった。前年に、今度は、義父が亡くなっていたからである。お人好しで、誰にでも好かれるタイプだった。坊主頭の中学生の息子と楽しそうに将棋を指している姿がアルバムにある。大阪からはるばる豊田の我が家を訪ねてきて、何日かを過ごしたときのものである。
 かつては郵便切手の収集が趣味であったが、せっかく集めた切手のアルバムも今は押し入れの隅に埋もれている。一方、私のパズル趣味は一生続きそうである。この年賀状には、一応それら2つの趣味が含まれている。紐でつながったネズミとチーズは、知恵の輪の一種である。若いときは、夜更かしをしてでも、向きになって頑張ったものだが、今は、外せないまま諦めてしまう知恵の輪も多い。

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 熱田神宮や名古屋城が描いてあって、真ん中あたりの建物が、私の勤務する名古屋工業大学(Nagoya Institute of Technology)のつもりである。遊んでいるひよこのほかに、一生懸命歩いているひよこが居る。同僚から、マラソンコースを歩きませんか、との誘いを受け、健脚を自認する私は、喜んでその「名古屋国際女子マラソンのコースを歩く会」に参加した。朝8時に瑞穂競技場から歩き始めた私達を、正午の号砲で出発した松野明美らが名古屋城の手前あたりで追い抜いていった。その頃は、歩道を歩く私達にとっても信号はすべて青になっている。最後のランナーも過ぎていき、交通規制が解ける頃から、足のマメがどんどん痛みを増してきた。8時間近くかかっての辛い苦しいゴールとなった。
 一生に一度はフルマラソンを走るつもりでいたが、歩くのがこのざまでは、42キロ完走はおぼつかない。さっそく毎週1回のジョギングを始めて、1年が過ぎた。トレーニングの成果は明らかで、この賀状の年の3月には、同じコースを7時間ちょうどで歩き切るとともに、4月には50歳の市民ランナーとして、小笠・掛川マラソンを完走した。女子のトップランナーの倍近い4時間33分のタイムながらも、この初マラソンで私は走る喜びを知った。以後10年以上、週末ランニングは続いており、今は各地各種のマラソン大会を走ることを楽しみとしている。

(追記)その後もマラソン趣味は続いていて、市民ランナー暦は20年を越え、フルマラソン10回以上、ハーフマラソン40回以上を完走した。⇒ マラソン記録集 写真集

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1997年
(平成9年、丁丑)



 時間割の都合で漢文の授業を受けられず、高校時代は補習で漢文を習ったのだが、漢文とくに漢詩が好きである。大学の教養課程では数多ある人文系の科目から言語学などとともに漢文学を選択した。返り点等に従って順序を変えながら読んでいく、日本語であって日本語でないような独特のリズミカルな響きが何とも快い。
 この年賀状の牛とかたつむりの会話は漢文というか中国語である。「お前は何者だ?」と牛に尋ねられて、かたつむり、すなわち蝸牛が「私も牛だよ」と答えている。研究室に在籍していた北京理工大学の助教授の助けを借りてこの会話を作った。彼は、この年の3月に目出度く工学博士の学位を取得する。
 留学生達との会話は、時として私に新たな視点を与えた。かつてインドからの博士研究員に「日本には宗教がないのが素晴らしい」と言われて驚いた。インドでは、宗教が社会の進歩や改革を妨げているという。なるほど、我々は、正月は神社に詣で、クリスマスにはツリーを飾って祝い、結婚式は神式、葬式は仏式で執り行うが、宗教のしがらみはほとんどない。不信心を恥じることはないというわけである。
 信心深い人の中には、自分の信じる神のみを絶対として他の信仰を否定する極めて付き合いにくい人達もいる。宗教でも愛国心でも、客観視、相対化が重要で、自分がその神を信じ、その国が大事であるのと同様に、別の神を信じ、その住む国を愛する人達がいることを理解できない人の存在が種々の悲劇を生む。

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