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  暑中見舞い

 年賀状はたとえマンネリ気味になろうと毎年続けてきたが、暑中見舞いは、たまたま気が向いたときに作ってみただけなので、5点しかない。 

 「金魚」 木版二色刷りだが、先の平たいペンで文字を書き足してある。
 「ホオズキ」 木版。二色だが、一つの版に絵の具を塗り分けて一度刷り。

「朝顔」 木版。
「水模様」 厚紙を切り抜いて貼りあわせて版を作ったと記憶する。
「葉と蔓と実」 厚紙を切り抜いた穴を通して、霧吹きか何かで絵の具を吹き付けたもので、版画ではない。消しゴムを刻んで作った円柱に色の濃い絵の具をつけて 実を作ったので、この部分だけは、版画と言えないこともない。

 はじめての暑中見舞いが金魚で、大学一年生だった昭和36年である。卒業研究でホオズキの成分研究のテーマをもらって大量のホオズキを刻んで格闘していた時の炎暑御見舞は、昭和39年の作である。朝顔は「‘65」と彫ってあるのでその翌年とわかる。残りの2点は昭和40年代の前半の作ではあろうが、今となっては何年のものかわからない。

研究所公式新年カード

 勤務先の三菱化成生命科学研究所では、公式のニューイヤーカードを作成しており、開所よりしばらくは所員みんなが建物の前などに集合して撮った記念写真に使っていた。8年目のこの年はカードのデザインを所員から募ることとなり、毎年、版画の年賀状を作っている私にも何か作って出すようにとの依頼がきた。当時は小田急線で通っていたが、帰りに電車の窓から見える研究所を木版に彫ってみた。応募はもう一点あり、研究補助員の女性が絵筆で描いた研究所の景色であった。彼女はもともと絵心があったし、私の版画よりも芸術性が高そうだったが、私の作品が選ばれ、クリスマスカードやニューイヤーカードとして世界の研究者たちに届けらることとなった。所長の江上不二夫先生からは、お礼にと、先生たちの編纂になる岩波生物学辞典をいただいた。江上先生のサイン入りのこの辞典は今も書棚にあって、大切に使っている。なお、その年には採用されなかった水彩画であるが、翌1981年の新年カードは、彼女の作品であったと記憶している。

結婚のお知らせ

 結婚の挨拶状は、印刷屋さんに頼んで作ってもらったが、それとは別に、絵の具を霧吹きで吹き付けた絵入りのものを、親しい人たち用に作ってみた。当時は、X線結晶解析を手掛けていて、不要となったX線用フィルムにナイフで穴を空けて、竹、お日さま、たけのこを描いた。見るからに幼稚な図柄ではあるが、これらの絵はそれぞれ、両親はじめ先達の方々、暖かい周囲の環境、その中で育っていこうとしている未熟な私達の三つを表わしたつもりである。

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