「菌塚をご存知ですか?」
生物多様性という言葉で、様々な動植物が思い浮かぶことであろうが、目に見えない微生物を含める人は稀であろう。私たちが生物資源から受ける恩恵は、食料、衣料、燃料、建築素材、医薬品など様々であるが、ここでも種々の微生物の貢献を忘れてはならない。最も古くからある微生物利用の産物は酵母の醸し出す酒類である。我が国では味噌、醤油などの醸造が発達し、微生物本体あるいはその酵素などを利用する調味料、医薬品などの製造を得意分野としている。抗生物質を生産するのは主に土壌微生物の放線菌である。
計り知れない恩恵に与っている菌類への感謝を篭めた供養の塚が京都洛北の曼殊院にある。この菌塚に納められているのは枯草菌の遺灰で、納豆菌は枯草菌の仲間である。菌塚は私たちに、目に見えない生き物の存在とその恩恵を思い出させる。なお、漫画「もやしもん」の主人公の農大生には、肉眼で菌たちが見えている。
川井 正雄(市民大学8期)
(掲載:「都市と自然」2011年5月)
ここに紹介した菌塚は、拝観料を払って入る曼殊院の庭園の中にはなく、拝観入り口を横に見ながら真っ直ぐ進んだ先のひっそりとしたたたずまいの中にある。目立たないながら、生命とは何か? 私達は生物からどのような恩恵を受けているか?等々を、私たちが見過ごしがちな視点から、問いかけている。
本文は、大阪自然環境保全協会が発行する都市と自然誌の編集委より、投稿欄へ何か原稿をとの依頼を受けて書いたもので、同誌422号に掲載された。同協会の主催する自然環境市民大学の2010年度の受講生(第8期生)として広い範囲にわたって様々なことを学んだ。
なお、菌塚についての話題は、「細菌のお墓」でも取り上げた。菌塚を訪れる人は少なく、夏には草も少し生えていたが、それでも比較的よく世話されているようであった。本稿のための写真は3月に撮ったが、花筒の花は我が家の庭のものである。菌の身分では供花を手向ける親類縁者も少ないかなと思って持参したのが役立った。
菌塚の存在は、松尾宏太郎博士から送られてきたChemical & Engineering News誌(米国化学会発行)への同氏の寄稿記事のコピーによって知ったのだが、実際に訪れたのは30年近く経ってからのことである。
書 籍 紹 介 (「都市と自然」誌:『ほんの森』への寄稿)
下記の書籍紹介「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐著)も、「都市と自然」への寄稿で、2013年6月号の「ほんのもり」欄に掲載されたものである。虫たちの驚くべき能力は枚挙にいとまがないが、例えば、クモの巣やハチの巣が如何に精緻に作られていても、それは彼等の知能が優れているわけではない。本能という言葉で表されるこれらの能力は、それぞれの生物が、気が遠くなるほどの長い時間をかけた試行錯誤を経て獲得したものであろう。しかし、アリやハチなどの社会性昆虫が整然と合理的に作業分担を行う様子は、あたかも彼等がすぐれた知性を備えているかのように見えてしまう。知性なきアリの知的な行動の秘密を知ることによって、新しい視点を得て、新しい世界が開けるかも知れない。
(掲載:「都市と自然」2013年6月)
(追記)「働かないアリ」についての原著論文「Lazy workers are necessary for long-term sustainability in insect societies」が一流科学雑誌 Scientific Reports 誌の2016年2月16日号(on line)に掲載され、新聞やテレビで大きく取り上げられて話題となっている。上記「ほんの森」の紹介では、「これらの不思議への種明かしは行わないので、興味ある方はぜひ直接に本書をお読みいただきたい」と書いた。マスコミで有名となって、今更あらためて種明かしを行う必要もなくなったが、以下は自分なりの大雑把なまとめと感想である。
働きアリの集団の中には常に少数の怠け者が居る。彼等は、働き者が都合で働けなくなった事態への予備軍であり、集団の存続に必要な存在である。もし全員が同時に一生懸命に働いて、同時に皆が疲れて休まざるを得なくなれば危機的状況となるからである。働き者と怠け者の違いは、勤労意欲、義務感の差であり、勤労意欲は集団の皆が同じではない。勤労意欲の低い2割程度が予備軍の怠け組にまわる仕組みになっている。したがって働き者ばかりを集めて集団を作れば、その中で勤労意欲の低い2割程が怠け者すなわち予備軍にまわる。逆に怠け者ばかりを集めて集団を作ればその中の8割程は働き者となる。
このアリの知見を人間社会に当てはめて教訓とするなら、個人差の少ない均一な集団は、種々の変遷、危機への対応能力に欠けるということであろう。少々は邪魔になったり能率が悪くなっても、皆とは違う行動、発想が出来る仲間の存在を認める社会の方が望ましい社会である。働きアリの能力はほぼすべて等しくて勤労意欲にバラツキがあるだけであり、我々とアリとは本質的に大きく異なっている。私たちの個性は遥かに多様で勤労意欲のみならず、体力、事務処理力、判断力、交渉力、統率力等々それぞれに能力は一様ではない。アリに我々の真似ができる筈はないが、我々もまた、とてもアリの真似は出来ない。(2016年2月)
次ぎの書籍紹介「セグロアシナガバチの巣の24節気」木下 一著も同じく「ほんのもり」欄に掲載されたものである。著者の木下氏は私と自然環境市民大学の同期生であり、同氏には「一茶 蛬を詠む」の著書もある。
(掲載:「都市と自然」2014年6月)
「都市と自然」誌の書籍紹介として絵本を取り上げるのは珍しいかも知れないが、下記の「動物の見ている世界」は、科学的内容としてもレベルが高い。子供向けの振りをして大人が楽しむ絵本かも知れない。
(掲載:「都市と自然」2015年7月)
社会性昆虫の生態は実に興味深く、3年前の書籍紹介ではアリの話を取り上げたが、今度はミツバチである。この「ミツバチの会議 ー なぜ常に最良の意思決定ができるのか ー」は、先の「働かないアリに意義がある」が一般向けの新書版で読みやすかったのに対して、装幀がハードカバーなだけでなく内容も硬い。多くのことを考えさせてくれる十分に読み応えのある本である。
(掲載:「都市と自然」2016年5月)
こんな面白い虫がいる!と様々な昆虫の生態を紹介してくれる書物はたくさんあるが、以下に紹介するのは、幼い頃からそんな虫たちと交わり、ついには専門家となった変わり者の著者の半生記である。並の人間では遭遇しないような数々の経験談とともに、自らを近代日本三奇人の一人、南方熊楠に続く第4の奇人を目指すという著者の思いに自然と引き込まれてしまった。
(掲載:「都市と自然」2017年8月)
⇒「菌塚をご存知ですか?」
⇒「働かないアリに意義がある」 ⇒「セグロアシナガバチの巣の24節気」
⇒ 仕掛絵本図鑑「動物の見ている世界」
⇒「ミツバチの会議 ー なぜ常に最良の意思決定ができるのか ー」