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 「提案:カタカナ生物名への漢字付記」


 生物名はカタカナで書くのが標準的ですが、コウヨウザン、カゴノキ、ビヨウタコノキ、ギンケンソウ、デンジソウなどと書いてあっても、さっぱりイメージがわきません。

<<<<  そこで提案です !  >>>>

 必要に応じて漢字を付記し、「コウヨウザン(広葉杉)」、「カゴノキ(鹿子の木)」、「ビヨウタコノキ(美葉蛸の木)」、「ギンケンソウ(銀剣草)」、「デンジソウ(田字草)」のように、漢字を付記することにするのです。こうすれば、おのずと名前の意味するところがわかります。

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 生物名のカタカナ表記は常識であり、私も、かつては、油蝉、鉄砲百合などと書いてあるのを見ると、この人は生物の素養がないんだと思い込んでいました。しかし、最近になって、カナ書き一辺倒の生物名に違和感を覚え、疑問を抱くようになりました。

 直接のきっかけは、(1)私が上梓した分子関係の本で、生物についてヒツジ、カエル、コムギなどと書きながら、羊、蛙、小麦の方が、日本語としてずっと自然で読みやすい・・・と強く感じたこと(「分子から見た私たち -- やさしい生命化学」「生命を知るための基礎化学 -- 分子の目線でヒトをみる」)、(2)自然関係の市民講座で、講師の先生がハクセンシオマネキの「ハクセン」を白扇でなく白線と思い込んでいる人が多い・・・とカタカナ表記の不都合を指摘されて、共感するところ大であったこと(自然環境市民大学を受講して)、(3)生まれて初めて俳文なるものを書くことになり、ふさわしいスタイルとして生物名を漢字表記してみるとわかりやすいし、味があって、すぐれた豊かな表現法だと実感できたこと(「蝶あれこれ」)などです。

 カタカナ表記は定着しており、生物であることが明示されるなど長所は多いので、その欠点を補うため、カナの後に( )書きで漢字を添えるということを提案してみたところ、一般の方々からは尤もだ!と賛同が得られる一方で、生物が専門の方々からの反応はイマイチでした。何でもすべて漢字で書くことにした場合の欠点、不都合を述べられる方が多かったのです。ともかく、同音異義語による混乱を避ける、カナ表記によって生物名に篭められている意味が表から消えてしまう、などの場合には漢字付記は有効であり、漢字を添えるか否かは書き手が自由に選択すればいいが、動植物園の表示板や図鑑類では、カタカナ名だけでなく、出来るだけ漢字を付記して欲しいと思っています。

 以上のような趣旨を、機会あるごとに述べるようにしてきました。近畿化学協会の会誌への寄稿「サイン入りの蝶々が舞っていた」の後半部分、俳句雑誌に掲載の俳文「草木の名前」の最後の追記、生命誌研究館のメールマガジンの「館長の『ちょっと一言』」への書き込み、NPOウェットランド中池見の会報で「大阪からの自然観察会・・・」の記事で紹介されたこと、武庫川武庫川市民学会の学会誌創刊号に私の主張が「論説:生物名のカタカナ表記への括弧書き漢字付記の提案」として掲載されたこと等々です。

 東海大学出版界の月刊誌「望星」が、2018年6月号で『植物名には漢字併記を!』という特集を企画することとなった際に、幸いにも、これらの私の主張を掲載したウェブページが編集部の眼にとまりました。インタビューを受けて、めでたく『いまのところ「ごまめの歯ぎしり」ですが・・・漢字併記への壁は厚い!』という7ページの記事として掲載される運びとなりました。

 さらには「望星」誌の記事が契機となって、月刊ウェブ通信「私達の教育改革通信」の依頼を受け、「カタカナ生物名への漢字付記 - 漢字文化軽視への抵抗 -」を寄稿しました。より幅広い視点から漢字の問題を取り上げたものとなりました。

 現在、新聞では、難読漢字にルビが振られていますが、いつの日か、意味がとりにくい生物名にはカタカナの後に( )書きで漢字が添えられるのが当然のようになる日が来ることを期待しています。


カタカナ生物名への漢字付記

漢字文化軽視への抵抗

川 井 正 雄  

「私達の教育改革通信」 第238号 2018年6月)

1.はじめに

 漢字は文字通り中国で生まれた文字であるが、我が国に定着して、本家とは一味も二味も違う形で日本語に溶け込んで今日に至っている。敗戦後、アメリカの教育使節団は、日本語はすべてローマ字とすることを提案したが、漢字の読み書き能力を調査した結果、日本人の識字率が非常に高いことが示されて、ローマ字化の計画は取りやめとなった。現在の状況は、70年前の漢字放棄の危機には遠いかもしれないが、カタカナ語やアルファベットが氾濫する中で、漢字文化の重要性が軽視されていることを憂うる声を耳にする。本稿では、生物名はカタカナ表記が標準とされていることに焦点をあてて、その問題点やそれに対する対策について述べることにする。

2.生物名のカタカナ表記の問題点

 生物種の名前の表記はカタカナを用いるのが生物学分野での記述に限らず一般的にも常識とされている。しかし、表音文字のみで書かれると、一般の人にはまったく意味がとれないような生物名もある。コウヨウザンの文字からは動物か植物かの判別も困難で、広葉杉という漢字を思い浮かべる人はごく少数であろう。デンジソウという字面からは名前の意味がわかりにくいが、田字草と漢字を見れば4枚の葉が田の字の形に並ぶ水草の名前が素直に納得できる。オオズアリは蟻の仲間らしいと推測できるとしても、オオズから大きな頭を連想できる人は少ないと思われる。なお、漢字書きの大頭蟻では、蟻の字が常用漢字に含まれていないという問題があるが、常用漢字の扱いについての議論は最後にまわし、以後の記述でも常用漢字を排除しないこととする。

 表音文字の羅列では複合語の切れ目がわかりづらく、シャジクモは一見した字面からは蜘蛛の仲間かと思っても不思議はないが、車軸藻であって虫ではなく水生植物である。高山植物のアオジクスノキは楠の仲間ではなく、酢の木の仲間の青軸酢の木である。

 同音異義語が非常に多いのが日本語の特徴で、切り方が分かったとしても意味を取るのが容易とは限らない。ハクセンシオマネキという蟹のハクセンは白線と思われがちであるが、片方の大きい鋏脚を振り上げる様子を扇に見立てての白扇潮招きである。キ(黄、木)、シマ(島、縞)、チョウ(蝶、鳥)、ナミ(波、並)、ヒ(日、火、緋)、などは、カナ表記では区別がつかなくなる。ウラナミジャノメのナミは波で、翅の裏側が波模様の蛇の目蝶である。一方、ナミアゲハのナミは並を意味し、ありふれた普通種の揚羽蝶のことである。

 古くから言い習わされてきた呼び名であれ、新しく生物学者によって命名されたものであれ、生物名にはその生物の性質や特徴、人々とその生物の関わりなど、その生物種についての何らかの情報が含まれている。表意文字である漢字を用いれば有効に伝わるそれらの情報が、表音文字のカタカナでは失われてしまう場合も多い。その生物にまつわる伝承やその名前に込められた命名者の思いを十分に伝えることができないのが、カナ書きの致命的な欠点である。

3.生物名のカタカナ表記の利点

 生物種は、国際的、学術的にはラテン語を基本とする学名で示されるが、国内では一般的には和名、すなわち日本語名が用いられる。各生物分野ごとに専門の学会組織によって標準和名が定められているという状況ではないとしても、わが国では自国語での名称が比較的統一されていて誤解が回避されているといえよう。例えば、スカンポは通称(慣用名、俗称)であって地方によってイタドリのことであったりスイバのことであったりする。しかし、図鑑等を参照することにより不毛の議論には至らないのは、後の2つが標準和名的な役割を果たしているからである。すなわち、カタカナ表記の定着と相俟って、和名と学名とが一対一の対応がついている場合が多い。様々な状況下で電子媒体を用いての検索が一般的となっている現在、カタカナ名称は整理、検索、情報処理などに極めて便利かつ明快で有効な表記法である。

 生物の名前をカタカナで表記することの利点として、地の文から生物名が容易に認識できることも挙げられる。ほとんど例外なくカタカナ表記される外来語の場合とやや状況は異なるが、カタカナ書きによって生物名であることを明快に示すことができる。

 カタカナ生物名には、一般に漢字やひらがな書きの場合とは異なる意味が含まれている。生物名をカタカナで表記することによって文脈の中でその語を生物学的な位置付けで述べていることを示すことができる。「人」や「人間」でなく「ヒト」と書かれている場合は生物種Homo sapiens Lとして扱われていることになる。コカブトムシとあればカブトムシとは別の昆虫の種名であって、小型のカブトムシやカブトムシの幼虫を意味することはなく、カタカナ表記によって曖昧な解釈が回避されている。

4.カタカナ表記への漢字付記の提唱

 生物名のカタカナ表記は十分に定着しており、カナ書きの長所を維持しながら、表音文字に必然的に伴う欠点を補う方法として、必要に応じて表意文字である漢字を付記することを提案したい。付記の仕方としては、コウヨウザン(広葉杉)、オオズアリ(大頭蟻)のような括弧書きを用いるのが簡単で分かりやすくて無難であろう。

 一般に、難読漢字の読みを示すために用いられるのは、漢字の横にルビを振る以外に、難読語の後に( )で読み仮名を示す方法がとられるが、本提案はその逆パターンに相当する。図鑑では、【 】や< >が用いられていることもある。生物名への漢字の付記が一般化する状況となれば、汎用される( )よりも専用の括弧の使用が定着するのが望ましいと思われる。現状では、先ず書き方は出版社の流儀や書き手の好みに任せるとして、漢字を添えることへの賛同者が増えていくことが何よりも重要であろう。

5.漢字付記の問題点と対策

 実際にカタカナ生物名への漢字付記を実行してみると、付記を行うべきか省略するかに迷うことが多い。生物系の読者が想定されている論文などではカタカナ名だけで十分であるが、一般的には読者層次第で判断が異なる。低年齢層にはアサガオ(朝顔)、スズムシ(鈴虫)などと書くのが親切であり教育的とも考えられるが、一般向きの文では誤解の心配がないスミレ(菫)、トカゲ(蜥蜴)などにも敢えて漢字を添えるか否かは状況により判断が分かれる。

 付記する漢字に選択肢が多く一義的に定められない点を問題視する向きもあるようである。例えば、送り仮名や助詞の有無ではカゴノキ(鹿子木/鹿子の木)、ユズリハ(譲葉/譲り葉)など、漢字仮名交じりの場合ではネキトンボ(根黄蜻蛉/根黄トンボ/根黄とんぼ)などがある。和名の漢字と漢名の両方が可能なイタドリ(痛取/虎杖)、カマキリ(鎌切/蟷螂)などは、和名の由来を示す漢字書きよりは漢名の方が馴染みがあるであろうが、併記することも考えられる。古くから言い習わされてきた動植物名にはその由来が不明なものや諸説あるものも多い。漢字の使用に際しては画一化を避け、むしろ漢字文化の多様性を生かし、自由度を高くして漢字を取り入れていくのが望ましいと思われる。

 漢字表現の柔軟性を有効に利用する方法として,生物の種類,分類を示す文字を最後に加えることも一案である。スズメガ科の昆虫ではクロスズメ、ベニスズメ、エゾスズメなどと「ガ」を含まないのが正式の種名である。漢字の紅雀では同名の鳥と区別がつかないが、ベニスズメ(紅雀蛾)と「蛾」の字を加えれば混乱を避けることができる。クワガタムシ科の昆虫ミヤマクワガタも同名の高山植物と区別するためにミヤマクワガタ(深山鍬形虫)とすればよい。

 カタカナの名前に漢字を添えることの意義として、名前の意味を明快に示すということとは別の立場としての漢字文化の重視がある。種名の表音文字に対して元となる表意文字の漢字を示すという目的に限ってしまえば、個々の漢字の読みとは対応しないアジサイ(紫陽花)、ヒマワリ(向日葵)やモグラ(土竜)、ミミズ(蚯蚓)などには漢字付記は不要である。一方、長く育まれてきた漢字文化を継承する意味からは( )書きには常用漢字には含まれない漢字も使用するとの立場も十分に尊重されるべきである。すなわち、各人それぞれが、漢字付記の有無、常用漢字の採否などを含めその場その場で最もふさわしいと思う表記をするのが望ましい。各種の図鑑類の記述や、動物園、植物園、博物館や資料館の説明板などの生物名には、適宜、漢字を添えるのがふさわしいに違いない。

6.生物系の専門家の反応

 本稿の主張であるカタカナ生物名への漢字付記に対し、一般の方々の反応はほとんどが賛同である。一方、生物系の方々で諸手を挙げて賛意を示される方はほとんどおられない。漢字付記への抵抗の理由がいくつか考えられる。まずは、ずっと慣れ親しんできたカタカナ表記に余分な記載を加えることへの違和感があると思われる。また、生物学者の命名による舌を噛みそうな長い名前の意味は素人にはわかりづらくても、その分野の人にとっては明快なのでろう。生物名の民俗的な由来などには学術的な価値を見出しにくいのかもしれない。生物学的な視点からは、生物名への追加情報として分類上の位置付けを示す科名や属名などの方が重要であることは否めない。

 カタカナ一辺倒の生物名への漢字付記を主張してきたが,、俳句誌への俳文の寄稿を始めたのがそのきっかけであった。俳句や俳文では生物名へのカタカナの使用はまれであり、漢字の名前によりその生物の質感、情感が伝わることを実感した。俳句誌では躑躅、鴛鴦などの難しい漢字でも、つつじ、おしどりと読み仮名を示すことは少なく、親切心で仮名を添えると却って俳文の格が落ちてしまうような気がする。

 漢字と仮名の関係が逆であるが、類似の感情が生物名への漢字付記に対して生物系の方々の心に生じると推測される。名前の漢字書きという学術的価値の低そうな情報が加わることが全体的な価値を低く感じさせてしまうといった思いであろう。実はこの専門家意識こそが拒絶反応の主たる原因かもしれない。

 一般人にとっては無意味な暗号にも見えかねないカタカナの羅列に、付記された漢字が息を吹き込んで質感、情感を蘇らせる役割を果たしているという場合は多いはずである。動植物園や公園の表示板などにカタカナ表記だけのものが多いことが、専門分野の人の意識と一般市民の感覚との乖離を如実に示している。図鑑や解説書の類でも、生物名に漢字表記のないものが多いのが現状である。動植物をはじめ広く生物界への一般市民の関心を惹起するためにも今後の改善を期待する。

7.おわりに

 漢字付記の主張は表面的には生物学の領域の問題であるが、その根底には漢字文化を大事にしたいとの思いがある。他の分野に目を向けると、星座の名前は仮名書きが標準とのことである。意味がとりにくいものには、やはり漢字を付記して、いて座(射手座)、がか座(画架座)、とも座(艫座)、はえ座(蝿座)、ほ座(帆座)、ろ座(炉座)のように記述するのが親切であろう。化学では漢字の化合物名にカタカナが混じるが、常用漢字ではないものをカナ書きとしているようである。フッ素(弗素)、ヨウ素(沃素)、ケイ素(珪素)、ヒ素(砒素)、リン酸(燐酸)、ギ酸(蟻酸)、ケイ皮酸(桂皮酸)、ショウノウ(樟脳)、タンパク質(蛋白質)などとするのが望ましいと思う。長く培われれてきた漢字文化を尊重し、漢字軽視の流れに歯止めをかける試みの一つとしての漢字付記である。

 直接に漢字を書くよりもキーインして入力する機会の方がはるかに多い今日では、漢字の候補、選択肢の中から正しいものを選べる程度の能力があれば十分な場合も多い。学校教育の場では、読める字は正確に書けなくてはならないという指導が常識かもしれないが、そのような完全主義を脱した現実的な対応が望まれる。一般の文書類においても、常用漢字の枠には囚われることなく、適宜、ルビや括弧書きを用いて対処するようになっていくことを期待する。規則、基準の類を重視するなら、人名漢字の例にならって各専門分野用語の枠を設けて、例えば、弗、沃、珪、砒、燐などを化学用漢字とするといった方向も考えられる。

参考文献 

1. 川井正雄: 生物名のカタカナ表記への括弧書き漢字付記の提案. 武庫川市民学会誌, 1(1) 62-63. 2013.

2.川井正雄: サイン入りの蝶々が舞っていた. 近畿化学工業界,63(8),12-13.2011.                    

3.川井正雄: いまのところ「ごまめの歯ぎしり」ですが……漢字併記の壁は厚い! 望星(東海教育研究所),2018年6月号, 35-41.

「私達の教育改革通信」 発行人:西村秀美(先事館箕面) 編集:菅野礼司(先事館狭山)

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 現在、新聞では、難読漢字にルビが振られていますが、いつの日か、意味がとりにくい生物名にはカタカナの後に( )書きで漢字が添えられるのが当然のようになる日が来ることを期待しています。
 

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武庫川市民学会誌   Vol.1, No.1, pp.62-63 (2013)

〔論 説〕

 生物名のカタカナ表記への括弧書き漢字付記の提案

川井正雄 *  

1.はじめに

 生物種を示すための最も正確で確実な方法は,世界共通の名称である学名を用いることである。学名は,それぞれの生物分類群ごとに国際的に定められている命名規約に従ってラテン語で記載される。しかし,実用的な面からは,日本人にとっては生物名が日本語で書かれている方がはるかにわかりやすくて便利である。日本語の名称,すなわち和名は,我が国における通称,慣用名であるが,学術書や教科書類では和名はカタカナ表記されており,一般的にも生物名はカタカナで書かれる場合が多い。本誌の執筆要領にも「生物名:和名の場合はカタカナ,学名はイタリック体にする。」と明記されている。

 カタカナによる表記には長所とともに短所もあり,本稿では,適宜カタカナ和名の後に漢字を括弧書きで付記することによってその短所を補うことを提案する。

2.カタカナ表記の長所

 和名をカタカナ表記することの利点は,まず,地の文の中から生物名が容易に認識できることである。さらに,生物名をカタカナで表記することによって,文脈の中でその語が生物学的な位置づけで記されていることを示すことができる。「人」と「ヒト」では意味合いが大きく異なり,後者は学名のHomo sapiens L.に相当する生物種として扱われていることを示している。

 和名は必ずしも標準化された唯一の名称であるとは限らないが,カタカナ表記される名称が学名との一対一の対応がついていて言わば標準和名といった性格を有する場合も多い。したがって,電子媒体を用いての検索に頼ることも多い現在では,カタカナ名称は検索,整理,情報処理などに極めて有効な表記法であるということができる。

3.カナ書き生物名の欠点

 和名は,単に生物種どうしを区別するためにつけられた無意味なタグとは性質を大きく異にする。人々によって古くから言い習わされてきた呼び名であれ,新しく生物学者によって命名されたものであれ,その生物の性質や特徴,あるいはその生物と人々との関わりなど,その生物についての何らかの情報が含まれている。しかし,日本語は同音異義語が多いため,キ(木,黄),シマ(島,縞),チョウ(鳥,蝶),ナミ(並,波)など,カナ表記では区別がつかないことが多い。ナミアゲハ,ナミテントウなどのナミは波線の模様を意味するものではなく,並であって,その昆虫の仲間の中でありふれた普通種であることを示している。ハクセンシオマネキ(白扇潮招)という蟹は,大きい片方の鋏脚を振り上げる様子を扇に見立ててつけられた名前であるが,白扇ではなく誤って白線と思っている人も居る。単純にすべてをカナ書きすれば,名前が意味する情報が表面から消えてしまう。その生物名にまつわる伝承やその名前にこめられた命名者の思いを十分に伝えることができないのは,カナ書きの重大な欠点であろう。

4.かっこ書き漢字付記の提案

 カタカナは表音文字に過ぎないが,表意文字である漢字には様々な情報が含まれており,漢字名から形や色や性質が伝わってくることは多い1) 。 しかし,図鑑類をはじめとして,動植物園の説明板等でも,漢字の生物名が明記されている場合は決して多くはない。

 例えば,小学館のフィールド・ガイドシリーズ2)では,ハシブトガラス【嘴太鴉,嘴太烏】,ベニマシコ【紅猿子】のようにカタカナ名の後に漢字が示されているが,カタカナ名だけの図鑑の方がはるかに多い。また,敦賀の中池見湿地に向かう歩道沿いのコハウチワカエデの幹には,カタカナ名とともに漢字書きの小羽団扇楓,学名,科名を記した板が取り付けられている3)が,このように自然公園内や自然歩道沿いの樹木に植物名がカナ書きとともに漢字も記されている例は少ない。

 生物名のカタカナ表記が十分に定着,一般化している現状では,必要に応じカタカナ名の後に括弧書きで漢字を付記するのが,カナ書きの長所を維持しつつ,その欠点を補うための一つの有効な方法であると考えられる。すでに折りにふれて提唱してきたこの漢字付記の私案4)であるが,ここであらためて紹介することとして,その有用性を示すため,以下に漢字付記の例を列挙する。

 コウヨウザン(広葉杉)はカタカナでは意味不明かも知れないが,漢字があれば,まさに読んで字のごとしである。顔の中央部の縦縞が白い鼻のように見えるハクビシン(白鼻芯),体内に生じて排泄される異物が抹香に似た香気を持つマッコウクジラ(抹香鯨),絶滅が危惧されるシダ科の水草で4枚の葉が田の字の形のデンジソウ(田字草)などは,漢字を添えることによってその生物種のイメージがよく伝わる。また,武庫川流域の溜め池に多く見られ葉が車輪状に出ているシャジクモ(車軸藻)は,漢字があればクモ(蜘蛛)ではなく藻類であることが自明であるとともに,その形態も連想することができる。湿原のラン科植物で絶滅危惧種のトキソウ(朱鷺草),サギソウ(鷺草)は鳥の形に似た花を咲かせる。その他,自然林に見られるウリハダカエデ(瓜膚楓),ネジキ(捩木),早春の野に咲くジシバリ(地縛),ショウジョウバカマ(猩々袴),夏草のオトギリソウ(弟切草),コマツナギ(駒繋),浮葉植物のガガブタ(鏡蓋)など,生物相が豊かな武庫川周辺では,漢字付記がふさわしい植物は枚挙にいとまがない。

 難読文字に対して新聞などではルビが付けられているように,意味のわかりにくい生物名に漢字を添えるというのが本提案である。同じ生物名が何回か出てくる場合は,漢字付記は最初だけで十分である。カタカナが多過ぎると無味乾燥な感じがするが,逆に漢字が多過ぎると煩わしいので,漢字付記の採否は執筆者が状況に応じて判断すればよいであろう。

5.漢字表現の多様性

 和名は種ごとにその由来,背景は多様で,実際に漢字付記を適用する場合,その採否や選択は単純ではない。対応する漢字が存在しない場合には当然付記はないが,漢名と和名の漢字書きの両方が可能なカマキリ(螳螂/鎌切)などの場合や,由来が定かでないなど種々の理由で複数の候補が存在する場合,常用漢字にない難しい字の場合など,状況は多様で一義的に書き方を定めることは不可能であり,複数名を併記するという選択肢もあり得る。表記の統一よりは,状況に応じた柔軟な対応,選択が,漢字付記の目的にはふさわしい。付記そのものの有無をはじめ,送り仮名や助詞の有無,漢字仮名混じり表記なども含め,次の例のように書き手の選択に委ねればよいであろう。例:ユズリハ(譲葉/譲り葉),カゴノキ(鹿子木/鹿子の木),ネキトンボ(根黄蜻蛉/根黄トンボ/根黄とんぼ)

 漢字表現の柔軟性を有効に利用する方法として,生物の種類,分類を示す文字を最後に加えることも一案である。例えば,スズメ目の小鳥ベニスズメ(紅雀)と同一の和名を持つスズメガ科の昆虫が存在するが,蛾の文字を加えてベニスズメ(紅雀蛾)とすることによって混乱を回避することができる。同様に,サシガメ(刺亀)はカメムシ(亀虫)目サシガメ科の昆虫の総称でカメ(亀)と紛らわしいが,例えば,アカシマサシガメ(赤縞刺亀虫)と虫の字を加えれば,カメの1種との誤解を避けることができる。同様に,植物と魚類が同名のカマツカも生物の種類を明示する目的で(鎌柄木)あるいは(鎌柄魚)と付記することが考えられる。

6.おわりに

 以上,カタカナで表記される生物名に続いて括弧付きで漢字を付記することを提案した。広く漢字付記が普及する場合,括弧書きは普通の( )ではなく,生物名への追加情報であることを明示する意味では,[ ],【 】,《 》などの特殊な括弧の中からいずれかを指定して用いる方が望ましいであろう。漢字が添えられている図鑑では,【 】が用いられている場合が多いようである2) 。 しかし,この括弧は文中では目立ち過ぎるので,漢字名の付記には[ ]を用いるのも一案ではあろう。

 また,生物分野の専門家からの一般への情報発信の場において,本提案が適宜,有効に取り入れられることは極めて有益であろう。特に各種の図鑑類の記述や,動物園,植物園,博物館や資料館の説明板などでこの漢字付記が望ましいと思われる。付記された漢字によって,それら生物種になじみの薄い一般市民の理解が深まるとともに,生物一般への興味,親しみが増すことも期待できる。なお,読者対象が生物系の専門家である学術雑誌などの場合は,曖昧さがなく生物種を示すことが重要であり,学名の使用が適当な場合はあろうが,漢字付記が望ましい場合は少ないと考えられる。

謝 辞

 動物名についての有益な助言をいただいた大阪市立天王寺動物園の早川篤氏に謝意を表する。

参考文献

1) BRH JT生命誌研究館ホームページ「中村桂子の『ちょっと一言』 2010 年11月 『発見でなく開発 (?)・・・について』へのお返事」
  http://www.brh.co.jp/communication/forum/user_view_list.html

2) 竹下信雄(1989)フィールド・ガイドシリーズ1 日本の野鳥 1,256pp.,小学館,東京.

3) NPO WETLAND NAKAIKEMI No. 42(2011/12/1)9ページ記事

4) 川井正雄(2011)サイン入りの蝶々が舞っていた,近畿化学工業界,63(8),12-13.

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 * 中之島科学研究所




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生命誌の広場( JT生命誌研究館メールマガジンより)

中村桂子の「ちょっと一言」について

  【「発見」でなく「開発」(?)・・・】について

(投稿日:2010.11.20 ) 名前:川井正雄   

 私は、今年のノーベル化学賞の方に思いがあります。日本人のダブル受賞は喜ばしいのですが、カップリング反応が対象分野となるなら、その先駆けである玉尾皓平さんが最有力と思っていました。両名の受賞は、直接に役立っている!が重視された結果でしょうが、始めに道を拓いた人の方がノーベル賞のイメージにはふさわしいです。玉尾さんには拙著「分子から見た私たち?やさしい生命化学」の書評を「化学」10月号に書いていただきました。虫好きの彼へのお礼にと貴館を訪れ「蝶と食草のトランプ」を購入、その後、2階の「生き物の上陸大作戦」を、ゆっくりと見せていただきました。「シャジク藻(も)」という表記が、印象に残りました。

 生物の和名はカタカナが標準ですが、最近、このカタカナ表記の欠点を強く感じています。「シャジクモ」なら蜘蛛を連想しかねませんが、「シャジク藻」なら心配はないし、「車軸藻」なら植物の形にも繋がります。キ(木、黄)、シマ(島、縞)、ナミ(並、波)など、カナ表記では区別がつきません。それで、モンキチョウ(紋黄蝶)のように、カタカナ表記の後にかっこ書きによる漢字の付記を提案します。特に、各種の図鑑や解説書の類では、漢字表記の付記が望ましいと思います。付記の有無も含めて、かっこの中の表現も、書き手の好みに任せれば、読みやすくて分かりやすいものとなるでしょう。例えば、ベニシジミ(紅小灰)なら、かっこ書きは(紅小灰蝶)、(紅蜆)、(紅シジミ)、(紅しじみ)なども考えられます。時間が経てば、ある程度は統一の方向に進むかもしれませんが、書き手の個性、自由度が尊重されてよいと思います。オーバーに言えば、カナ文字化によって失われてしまった日本文化の復権です。賛同者によってこの表記が習慣化されていくことを期待します。

 

お返事 

(投稿日:2010.11.24) 名前:中村桂子館長 

 興味深いお話ありがとうございます。化学から離れていたので、今回の受賞で、日本でのカップリング研究のみごとさ(研究者の数と質)を知り驚きました。まさに世界をリードしているのですね。その中での先駆者というお話わかります(くり返しますが化学から離れましたので、個人的評価の能力はありませんが)。

 カタカナ表記のことも、あまり深く考えずにきましたが、表意文字である漢字のよさは生かしたいと思います。文字から色や形や性質が見えてくることが多いですから。すでにカナ表記が一般化していますので、( )で漢字を示す案はなるほどと思いました。

(注:中村桂子氏の【「発見」でなく「開発」(?)を選んだノーベル賞】については、BRHメールマガジンの「ちょっと一言」のページでバックナンバーの2010年をご覧ください。)


 



NPO WETLAND NAKAIKEMI No.42 2011.12.1 (p9) より抜粋

大阪からの自然観察会
生物名の「漢字付記」を話題に
中部北陸自然歩道を中池見へ

 11月10日、(財)大阪自然環境保全協会の自然環境市民大学8期生のグループ「八葉の会」の皆さんの観察会が敦賀で開かれ、ガイドをさせていただきました。
         (中略)
 天筒山頂上で昼食後、中池見へ。この中池見への尾根道ではいろいろな木が実をつけており、種類を確かめながら歩きました。この時に参加の川井さん(名古屋工業大学名誉教授)が、種名のカタカナ書きに漢字名が付されているプレートが木々に付けられていることは大変いいことだ。漢字は一目で特徴がわかるので、ということから話が弾み、観察にも力が入りました。「名は体を表す」と言われますが、漢字で見るとなるほどと感じ入るものが多い動植物の和名です。そうこう言いながら観察しながら中池見へ。
         (中略)
   写真説明(写真は省略): 自然歩道沿いの木々に付けられ解説プレート・
         ヨコグラノキ(横倉木)=横倉山で見付かったことからの命名
 川井先生は、機会あるごとに漢字(和名)付記を提案されているそうで、同感ということで意気投合。アズキナシの例のように和名から実物を観察することによって、なるほど!と自然観察の楽しさや興味を持つきっかけになること請け合いです。
 私たちも和名を学習し、ガイドやものを書くときは付記をしていきたいと思います。きっと想像が膨らみ、楽しさが倍増することでしょう。

■川井先生の了解を得て、過去に書かれたものから、その一部を参考に転載させていただきました。

きんか2010 Vol. 62 No.8(近畿化学協会誌)から

追記 – 生物名のカナ書き一辺倒への疑問
 生物名はカタカナで書くのが標準というか常識となっているが、前期の文(本文「サイン入りの蝶々が舞っていた」)では、適宜、アサギマダラ(浅黄斑)、ヒヨドリソウ(鵯草)のように漢字を付記した。(以下略、この「きんか」誌への寄稿文は別のページに掲載)













カタカナ vs. 漢字


 「生命の歴史 進化と絶滅の40億年」という新書判の書物が丸善出版より送られてきました。翻訳書で、訳者の一人の鈴木寿志氏は私が3月まで非常勤講師をしていた大谷大学の先生です。

生命の歴史  進化と絶滅の40億年」
Michael J. Benton 著  鈴木寿志・岸田拓士 訳
サイエンス・パレットSP-004  (丸善出版)

 訳者まえがきの終わりの方に「なお、本書を翻訳するにあたり、次の方々から原稿について有益なご意見を賜った。・・・、名古屋工業大学の川井正雄名誉教授、・・・」と7名の名前が挙げられている中に私の名前があることを発見しました。2、3度メールのやり取りをしただけなのに、律儀な方だと恐縮です。

 その謝辞の前に書かれていたのが、次の1節です。

 原著はイギリス英語で書かれており、それを日本語に翻訳するにあたりさまざまな問題に直面した。英語の原文で言わんとしている内容を、なるべくかみ砕いて平易な日本語にしたつもりである。とはいえ、科学的著作には専門用語が必ず含まれる。よく使われる専門用語には定番の日本語の訳語があるが、あまり使われていない、もしくは比較的新しい概念の言葉については、日本語の定訳がないことがある。そのような場合、英語の発音をただ安直にカタカナ化して用いることがよくあるが、本書ではそれをできる限り漢字化した(たとえば、第1章の「幻影期間(ghost range)」、第6章の「平衡絶滅(background extinction)など」。漢字はその中に意味を込めることができるので、漢字を見れば特に詳しい説明がなくても理解することができるからである。そして近年よく使われているカタカナ表記の専門用語も、本書では漢字で示したものがある(たとえば、「藍色細菌(シアノバクテリア)」、「域(ドメイン)」、「菊石類(アンモノイド類)」、「偏位(エクスカーション)」、「水和物(ハイドレート)」。また新生代区分では、公式には使われなくなった「第三紀」の代わりに、「旧成紀」と「新成紀」を用いた。(以上、引用終わり)

 「安直なカタカナ表記」を排し、直感的な理解へとつながる積極的な漢字化の姿勢には共感するところが大きいです。学術用語、専門用語はそれなりの約束事と共通の理解があって成立しているので、専門書では勝手な言い換えは困りますが、専門外の読者を対象とする教養書の類では、カタカナより漢字の方が表現として望ましい場合も多いと思います。

 カタカナ表記と漢字表記の関係ということでは、私案の「カタカナ生物名への括弧書き漢字付記」にも通じるところがあると思っています。

 ところで、この「生命の歴史」は上記の配慮からも想定できるように、読み易く書かれています。これから丁寧に読んでいくつもりですが、進化についての興味深い話が次から次からでてきそうで、読み進めるのが大いに楽しみです。  (2013.6.14)

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