⇒ スカンポ論争      ⇒ 夏至を過ぎると… ⇒ 秋の夕暮れ 

⇒ 小さな猛禽 チョウゲンポウ ⇒ 花を散らす小悪魔の忘れ形見


自然環境市民大学 を 受講して

 67歳の4月から1年間、公益社団法人 大阪自然保護協会の自然環境市民大学の第8期受講生(平成22年4月〜23年3月)として、新鮮な経験をした。室内の講義よりは、大阪城公園、淀川の河畔、五月山、金剛山、泉南の海岸、奈良公園、能勢町の水田などで実地に学ぶ講座の方がずっと多かったので、ピクニック気分を味わうこともできた。

 六十の手習いという言葉があって、学び事や習い事は晩年に始めても遅過ぎるということはないという。すなわち、「 Never too old to learn. 」である。講座はほぼ毎週開かれ、内容は、草花、樹木、昆虫、野鳥などの生物や、河川、水田、里山などの環境をはじめ、多岐にわたった。今まで見過ごしていたこと、気付かなかったこと等々、毎回、新たな発見があって、目からウロコの連続であった。

 この自然大学で扱う範囲は広いにも関わらず、各講座の内容は、平板ではなく深みがあった。決して、広く浅くではなく、「 Try to learn something about everything and everything about something. 」という生物学者 T.ハクスレーの言葉を思い出させるものであった。

 とはいえ、古稀を間近に控えた身では、気力、体力、知力は若い頃とは比ぶべくもない。「 You cannot teach an old dog new tricks. 」の諺もまた真実であり、覚えることよりも忘れることの方が多い年代に達している。このあたりは、すっきりと割り切って、学ぶことをエンジョイするが、忘れても気にしない!に徹した。幸いにも、テストや評価の類はなかったので、伸び伸びと講座を楽しむことができた。受講生は、自然や環境に興味があるということで集まっているとしても、講座の内容は、植生調査、土壌調査なども含め多岐にわたり、すべてに十分な興味を持つように要求するのは無理であろう。昆虫の講座で、「私は虫は嫌い!」と平然と述べる受講生も居て、それも許される大らかな雰囲気も、私の性に合っていた。

 書物を読むことであれ、講演を聴くことであれ、新しい知識の習得よりも、今までにない新たな視点が得られるという方がはるかに有益、有意義である。自然環境市民大学の受講は、私にとって新鮮な経験の連続で、種々の新しい視点を得ることができた。

 実は、正直に書けば、この市民大学受講の動機は、新しい知識や新しい視点の獲得ではなく、定年とともに徐々に狭まっていく人間関係の拡大、充実にあった。所期の目的は十分に果たされ、単に同期生の仲間だけではなく、修了生の会が有効に機能していて、種々の自然環境関係の行事、自然保護や環境保全のイベント等で多くの修了生との交流が続いている。また、24年4月から1年間はスタッフとして第10期市民大学のお手伝いをさせていただいたのも、貴重な経験になった。

(追記) 俳句雑誌「春星」に「宿題」という一文を書いた。市民マラソン大会を引き合いに出して、学校教育も参加者の全員が充足感を味わえる場でありたいとした。思えば、徒に競争や成果を求めない自然環境市民大学はそのような場であった。

#### 自 然 環 境 市 民 大 学 の 関連サイトへのリンク ########

# 自然環境市民大学(トップページ)
# 主催団体:ネイチャーおおさか(公益社団法人 大阪自然環境保全協会)
# 講座アルバム
# 受講生募集(15期生:2017年4月〜2018年3月)
# 一日体験入学 募集要項
# 空の会(修了生の会)
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スカンポ論争

 自然環境市民大学を1年間受講したが、修了後も仲間との交流はずっと続いている。修了生組織の「空(くう)の会」には、昆虫、植物、野鳥、工作などの部会があって、いずれの部会のイベントにも自由に参加できる。先日、八尾の高安山山麓を歩く昆虫観察会に参加した。お目当てのヤマキマダラヒカゲ(山黄斑日陰蝶)、サトキマダラヒカゲ(里黄斑日陰蝶)に出会うことはできたが、早春のこととて、蝶やトンボが派手に飛び回っているわけではなかった。鳥好きや野草好きが、ついでに昆虫の会にも来ているだけというのもあり、虫が少なければ、観察の目や話題の中心が、鳥たちや樹々、草花にも及ぶことになる。たまたま目にしたイタドリ(虎杖/痛取)を前にして、「あれを通称スカンポと呼ぶ」という説と「いや、違う! スカンポとはスイバ(酸葉)のことだ」という説とが対立することとなった。私はイタドリ派であったが、夫婦で見解が異なる家庭があることまで判明した。帰宅後、図鑑の類やインターネットからの情報を総合した結果、スカンポという呼称が指す植物は地方によって異なるという解釈が妥当との結論に達した。自分が育った地域での呼び名が全国的に通ると思い込んで記述している著者が多いようである。実は、私も、スカンポはスイバだと「誤って」主張している人は、イタドリとスイバの区別がつかないんだろう!くらいに思っていた。その土地に伝わる呼び名などは大事に残したいと思うが、全国的に共通する標準和名の重要性をあらためて認識した。  (H25. 04)

イタドリ(左)と スイバ(右)(H28.4.23 枚方市穂谷)

【追記】北原白秋作詞の童謡『すかんぽの咲く頃』は、「土手のすかんぽ、ジャワ更紗・・・」で始まり、「・・・夏が来た、来た、ド、レ、ミ、ファ、ソ。」で終わる。イタドリは夏に白い花を咲かせるのに対し、スイバは春に赤い地味な花が咲く。したがって、童謡に歌われるスカンポは間違いなくイタドリである。俳句誌「春星」への寄稿文「スカンポ」で、そのことに触れた。  (H28. 04)

   ⇒「スカンポ」(エッセーwith俳句:ミニ版)

 ⇒「提案:カタカナ生物名への漢字付記」 

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 私は視力、特に動体視力に自信がなく、鳥の観察は苦手です。それで「あんな落ち着きの無い生き物は性が合わん!」なんて負け惜しみを言っています。運動神経や俊敏さにも自信がないので、虫好きといっても、飛び回るトンボやチョウは追わずに、子供の頃から昆虫採集は主に甲虫類でした。甲虫は概ね歩いており、ハンミョウ(斑猫)のように忙しく飛び回るのは例外です。話を鳥の方に戻すと、市民大学の修了生の「空の会」の観察会も、昆虫部会には顔を出しても、野鳥部会の方はご無沙汰でしたが、その野鳥部会の常連の楳澤さんより「夏至を過ぎると…」という示唆に富む一文がメール網で送られてきましたので、楳澤さんのご了解を得てここに紹介しました(2015年6月)。さらにお願いして、順次、秋、冬のヴァージョンを追加してきましたが、立春の日にアップロードした「花を散らす小悪魔の忘れ形見」をもって完了とします(2016年2月)。


夏至を過ぎると…  楳 澤 郁 夫(空の会 野鳥部会)

 昼間の時間が一番長い夏至(今年は6月22日でした)を過ぎると、少しずつ昼が短く、夜が長くなります。夏の暑さはこれからですが、実際はもう日が短くなりつつあるのです。
 この様に日中の時間が長くなっていったり、短くなっていったりする変化は毎日ごく少しづつですので人間はなかなか気付きません。自然の中で生きている野鳥達はこのようなごく僅かな変化もキャッチしているのです。
 あんなにやかましく鳴き交わしていたケリの声が聞こえません!
 この頃キジの勇ましい鳴き声やドドドッと打ち鳴らす羽音も聞えなくなったでしょう!
 巣作り、抱卵、育雛、給餌と目が廻るほど忙しそうだった小鳥達はどうしているのでしょう?
 春に鳥の巣があるに違いないと思った所に行って見ると、確かにまださえずりも聞えますし、せっせと餌を運んでいる親鳥の姿を見る事もありますが、今一つ華やかさがありません。やかましく群れ騒ぐカラス達が空を飛ぶ様子を見ると、アレ!羽が一本、二本抜けている個体がたくさんいます。換羽です(鳥は換羽するともう産卵しません)。
 これらの変化は日照時間がもう伸びないことを感じ取って、繁殖シーズンが終わりにさしかかったことを示す反応をしているのです。光の刺激が目から入って脳下垂体の視床下部という所に作用して内分泌系の変化を起こさせた結果だと言われています。
 赤道直下の熱帯地方の日照時間は年中12時間で余り変化しません。温帯にある矢田丘陵では夏の日照時間が大変長く、反対に冬には夜の時間が長くなります。さらに北海道やシベリアまで行くとこの変動はもっと極端になります。
 年中食べ物の豊富な南の国から春にわざわざ矢田丘陵へやって来て子育てをする鳥たちは、長い日照時間を求めて旅をして来たと考えられます。春に北国へ帰って行ったコガモやノスリなどは更に長い日照時間が欲しかったのでしょう。
 キジバトやカイツブリなどは思いがけない季節に子育てをする場合があります。日照時間の要因が強く作用する鳥とそうでない鳥があるのではないでしょうか。そういえは農家の門に巣を作ったツバメより、商店街のひさしの下に巣を作ったツバメの方が遅くまで雛を育てているような気がします。きっと大都市のまばゆい照明は都会暮らしの鳥達の繁殖にかなり影響を及ぼしているのでしょう。
 小鳥達は卵が小さく、孵化までの日数も10日程ですので、ひと月チョットで初めの雛を育て、シーズン中に2度、3度と繰り返して雛を育てることもあります。このような場合1番子、2番子などと呼びますが、繁殖の時期をずらす事によって、カラスなどの襲撃を避けて雛が生き残るチャンスも生まれるのでしょう。
 生き物の世界では太陽の光が全ての源になって、多様性が豊かさを生むのです。


秋の夕暮れ  楳 澤 郁 夫(空の会 野鳥部会)


  “心無き身にも哀れは知られけり シギ立つ沢の秋の夕暮れ”  西行法師

 秋の夕暮れ時の寂しさを読んだ新古今和歌集の“三夕(さんせき)の歌”に挙げられて、受験生必修の和歌であります。
 日暮れが早くなってうすら寂しい沢筋の湿田を歩いて行くとタシギが足元から“ジャーッ”と鳴きながら飛び立って夕闇に消えて行く情景でしょうか?
 「あぁ!びっくりした!なんだタシギか!それにしても寂しい所だ…」と呟いている西行法師が目に浮かびます。でも墨染め衣の西行法師が夕闇の沢筋によろめき出れば、本当にびっくりしているのはタシギの方だと思います。
 タシギは冬鳥ですが9月に入ると田圃のあぜ道でよく見かけます。昔はごく普通に捕まえて食べた様で、“ナスのシギ焼き”等という料理名は本物の“シギ焼き”に似ているから名付けられたものだそうです(私も本物は知りません)。
 丸い大きな目をしたクチバシの長いシギです。水はけの悪い田圃に座り込む様に降立って餌を探していますが、上手く辺りの色に溶け込んでいてすぐそばに行っても見つけられません。タシギも自分のカモフラージュに自信があるのかごく近くに行くまで逃げようとしません。
 “ジャーッ!”と鳴いてどこかへ飛び立った所がいかにもタシギの居そうな湿田であれば、別の日に少し離れた所から双眼鏡で探してみると案外見つけられます。ずんぐりした体つきとびっくりするくらい長いクチバシが特徴です。
 しかし実際に西行法師がこの歌を詠んだのは海近くの神奈川県大磯だそうです。“シギ立つ沢”も海岸なら全く違う種類のシギ、チドリを考えないといけないかもしれません。
 また“立つ”の意味を“飛び立つ”習性に着目したと考えた場合と、佇む(じっと立っている)と考えた場合では思い浮かぶシギの種類が違ってきます。
 海無し県の奈良の住民としてはタシギ派でこの歌を鑑賞するのが自然ですね。 

ちなみに後の“二夕”は
 “見渡せば花も紅葉も無かりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ”   藤原定家

 “寂しさはその色としも無かりけり 槙立つ山の秋の夕暮れ”  寂連法師
だそうです。


小さな猛禽 チョウゲンポウ  楳 澤 郁 夫(空の会 野鳥部会)

 今年も千日町の南に広がる田園地域にチョウゲンポウが舞い始めました。

 いつも必ず見られるわけではなく、時折見かける程度ですから、ハンティングのルートの一部分に組み込まれているのではないかと思っています。

      

 ハヤブサの仲間ですが、ハトぐらいしかなく、スマートで尻尾ばかり長い、小さなタカです。おなかが茶色っぽいタイプと白いタイプがあるようで、コドモやオスメスでも色合いに違いがあります。飛び方に特徴があって、ひらひら羽ばたいたり、スーッと滑空したり、羽ばたきだけで空中に停止(ホバリング)したりします。翼の羽毛が薄くて陽の光が透けて見えるようです。空高く飛ぶこともありますが、どちらかといえば、電信柱程度の高さをひらひら、ス-ッと飛んでいきます。畑の棒くいや休耕田に生え始めた潅木などの案外低い場所に止まってあたりを見渡していることもあります。たまたま私が見た個体は寒さに震えているような赤とんぼを鷲掴みにして食べていました。

 あまり勇猛でなく、ちびっ子のチョウゲンポウには“馬糞タカ”とけんもほろろな呼び名がついています。でもあたりのスズメやホオジロは声を潜めて“チッ!”とも鳴きません。そのうちにカラスに見つけられると大変です。カラスは大声で騒ぎ立てて、仲間を集め飛び掛かって追い回し始めます。やはりタカの扱いを受けているのでしょう。

 カラスに比べるとうんと小さいチョウゲンポウはそんな時ひらひら、スーィ、スーィと身を翻らせて逃げ回り、やがて急加速して上空に駆け上がってしつこいカラスを振り切り、ハヤブサの仲間らしさの片鱗を示します。

 ホバリングするときや、ひらひら舞うときには長い尾羽が扇型に開き、先端を縁取る黒い帯がよく見えます。低空をゆっくりと飛びますので、ハヤブサみたいな目の下の隈取りも見えることがあります。

 思わず、“かっこいい!!”と言いたくなる様な小鳥です。

花を散らす小悪魔の忘れ形見  楳 澤 郁 夫(空の会 野鳥部会)

 春の花は桜! よくぞ、日本に生まれけり・・・と言いたい程、サクラが咲き誇ります。そんな桜並木に、ハラハラ、くるくると桜が散っています・・・。そうそう!「サクラチル・・・」等と云う大学の合否電報もありましたなぁ! サクラの花が散る時は、ハラハラと花弁が一枚ずつになって散ります。しかし、花の姿そのままに一面にクルクルと舞い落ちる場所があります。散る前の花の茎を誰かが、噛み切って散らしているのです・・・。こんな仕業の犯人は一体誰でしょう???

  

 良く見るとスズメにそっくりの小鳥がピチュピチュ騒いでいます・・・。スズメであれば、目立つはずの頬の黒い斑点がありません。頭が茶色い個体と過眼線のある個体が混ざっています。♂・♀でしょうか? 観察しているうちにも、クルクルと回りながら花が散ります! 犯人はこの小鳥に違いありません!!! 更に、付近のスズメを観察すると、スズメは決して桜の梢にとまりません。これは「ニュウナイスズメ」です! 注意して聞くとスズメよりかなり甲高い声で、「ピチンピチン!ピチピチ!」と弾けるように囀ります。ニュウナイスズメは稲が実りだす頃、北の国から渡ってきます。米が熟して胚乳の頃、稲穂にとまって太い嘴でモミを噛みしめます。そして乳熟期のモミに大打撃を与える害鳥と言われてきました。そしてなる桜の見頃に落花前のサクラの花を切り取るのです・・・。彼らは渡り鳥で、サクラに悪戯した後、すぐ北の国に旅立って行くのです。きっと根っからの悪人ではないのでしょう・・・。だって、楽しくってたまらないような、底抜けに明るい声で鳴き交わしているのですから・・・。サクラの落花を拾って、押し花にします。小悪魔チャンの忘れ形見です。秋〜冬にもこの声が聞こえます。夕方、電線に等間隔で整列します。


 以上、梅澤さんの寄稿は、『夏至を過ぎると・・・』秋の夕暮れ小さな猛禽 チョウゲンポウ花を散らす小悪魔の忘れ形見の4部作で、四季が完結しました。

(2016年2月)

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