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< エッセー with 俳句 > その2

「春星」誌への寄稿文集 (2/4) 平成24年1月〜12月




幸せ

川井正雄  

         聖夜始まる金色の幸赤い幸    島春

 「あーぁ、クリスマスが終わっちゃった」と子供達が嘆いている。米国より帰国した私達一家にとっては、久し振りの日本のお正月が待っていた。しかし低学年の小学生にとって二年間のアメリカ暮らしは十分に長く、物心ついてからの人生のかなりの部分をあちらで過ごしていた。クリスマスは楽しいことだらけだったが、正月には大した思い出もないといったところであろう。確かに親の私達にとっても、サンディエゴで経験した二回の新年は寂しかった。元旦は確かに祝日でお休みなのだが、翌二日はすでに普通の出勤日である。正月の二日から働くあのわびしさは今も忘れられない。その前に長いクリスマス休暇があったのだから、休む日数では「勘定」はあっている筈だが、「感情」はそうはいかなかった。

         初戸出の雲の五分五分幸とせん  島春
         新年の幸約すかに富士全し    かすみ

 我々日本人にとって晴天は上天気であり、日本晴れという言葉もある。しかし、国が違えば思いも違う。職場ではインド人の研究者と同室であった。彼の言うには、雲一つない空はうんざりするインドの暑さに結びつき、好天から程遠い。曇天こそが好天で、幸せなピクニック日和とのことであった。

 幸せは英語ではハッピーであるが、アメリカ人が頻繁に発するハッピーには時として違和感を覚えた。スーパーマーケットで割引きのクーポンがもらえたり、昼食のサンドイッチの肉がちょっと多めなのもハッピーである。我々の幸せにはそんな安っぽいものは含まれない。

         追へば逃ぐる幸に似て蝶の飛ぶ  かすみ
         山藤に幸ある今日を惜しみ佇つ  同
         目刺噛むよい歯よい指幸ひに   島春

幸という字には、しみじみとした思いが籠っている。ハッピーがより広いのに対し、これらの語はより深いとも言えよう。英和や和英の辞典にある対応を安易に鵜呑みには出来ない。実は、日本人同士で同じ日本語を話していても、その思うところがかなり違うことも多い。季語となっている言葉では、俳句を作る人がそれに籠める思いは、一般の人よりはるかに深いであろう。

 心の持ちようで人は幸福にも不幸にもなるが、異国の生活では特にそうである。故郷を離れると、無いものはいくらでもあり、それらを数えて暮らすのは空しい。逆に、異国には今まで無かったものが沢山あり、それらをエンジョイすればいい。どうせなら幸せに生きたい。

 先に国王夫妻が来日したブータンは、国民が世界で一番幸せな国とも言われる。そのGNPは我が国とは較ぶべくもなかろうが、幸福とは何かを我々に問いかける。

  • 掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)新年号(通巻七七二号)  

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川井正雄  

         黙し行く大河雪嶺遙かなる   かすみ

雪の少ない大阪平野に育った私にとって「トンネルを抜けると雪国」の世界は別天地である。今でも遠くに見える雪の山々は、私の心を弾ませる。ごく稀にではあるが、一夜明ければ銀世界で、見違えるように一変した新鮮でまばゆい光景が広がっていることもある。

         パン屋さん光量ゆたか雪の朝  島春
         明け放れ春雪光返し来る    かすみ

 雪は受けた光を吸収せずにそのまま返す。雪の道に残る枯葉の辺りだけ、雪が解けて地面が露出していることがある。褐色の葉が吸収した太陽のエネルギーが熱に変わって周囲を温めたからである。また、小さな草木が周りの雪を融かして顔を出している様は風情があるが、これは植物自身の呼吸熱などの影響も大きいであろう。

 地球温暖化で雪や氷で覆われた面積が少なくなると、今までは反射して空へ返していた割合がそれだけ減少する。地球は日光のエネルギーをより多く受け取ることになるので、温暖化の加速が心配されている。

 お座敷小唄に歌われるように、富士山頂の雪も、京都の色町に降る雪も、解ければ同じく水になる。別に雪に限らず、霰や雹も、湖面の氷も、地面の霜柱も、外観は著しく異なるが、すべて水の分子が整然と並んで作り上げた水の結晶であることに変わりはない。

         子らの目に氷柱の棒グラフが競ふ 男児
         軒氷柱調べを持ちて溶けにけり  文武

いったん解けた屋根の雪が形を変えて姿を見せたものが氷柱で、その透明感と陽光を返す輝きに魅せられる。

         春の水暁かけて凍りけり     かすみ

 水を凍らせる際に、容器に美しい言葉を書いた紙を貼っておくと、きれいな形の氷ができるが、汚い言葉が書かれていた場合の氷は形が悪いという主張がある。文字や言葉がもつ固有の波動、エネルギーが水分子の結晶化に影響を与えるというもので、氷の形の良し悪しは私たちへの「水からの伝言」であるとしている。言葉が結晶化に何らかの影響を与えるということは、あり得ない。「固有の波動、エネルギー」は科学的な響きを持ちながら、何ら科学的実体を伴わない疑似科学である。

         春の雪ためらふ如く手に乗り来  島春
         淡雪ら内に曲って我へ降る    同

 目の前の雪は、はるかな上空で低温の水蒸気が結晶化したものである。雪の生成機構の解明をライフワークとした中谷宇吉郎博士は、「雪は天から送られた手紙である」という素敵な言葉を残した。雪の形が上空の気象、すなわち結晶の生成や成長の条件を反映しているという意味である。こちらは間違いなく本物の科学である。
  • 掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)二月号(通巻七七三号)


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自然さまざま

川井正雄  

 カリフォルニアの南端サンディエゴで二年間を過ごすことになり、私は家族より半月ほど先に単身で渡米した。インターネットなど無い三十余年前のことで、航空便で家族に「ここには豊かな自然が無い」と書いた。「自然がいっぱい」と反論したのは、後から子供を連れて遅れて到着した妻である。確かに部屋の窓からは、道路の向こうの斜面にリスの仲間がちょろちょろしているのが見える。随所に干涸びた空き地があり、ガラガラ蛇も潜んでいるらしい。もともとは砂漠だった辺りで、手つかずの自然の面影があちこちに残っていた。ただし、私の期待する瑞々しい自然、緑が溢れて昆虫相の豊かな環境とは異質の世界であった。なお、高級住宅地に足を伸ばせば花に戯れる蝶の姿があることは後で知った。

        風薫る一万坪の苔の艶      かすみ

 洛西の苔寺のたたずまいは、緑豊かな日本に住む幸せを感じさせてくれる。自然の美しさを最大限に引き出すように計算しつくされて、丹念に人手が加わっている。

 山あいの段々畑の眺めは心を惹き付ける。何ら見る者の目を意識して作られたものではなく、社寺の庭園の美とは好対照である。傾斜地を開墾して作られた田畑の機能美とも言えようが、平坦な耕作地が得られない山村の貧しさの象徴でもある。私たちの目を和ませるその光景を守ってきたのは、村人たちの長年の労苦である。

        水温む田んぼが消えてコンビニに 島春

 身近な自然の損失ではあるが、人工の建物の出現によって失われたのは自然の植生ではない。食料の供給を目的として合理的に最適化された土地と植物である。

        乱伐の様凄まじく山眠る     かすみ

 山容の無惨な変貌に見る者の心は痛む。しかし、このような露骨な自然破壊とは別の里山の変貌が今問題となっている。人里の周辺の緑は、山林を利用する里人の営みによって維持されてきた。生活スタイルや社会構造の変化によって山林や雑木林がその直接的な価値を失い、利用されずに放置されて荒廃が進んでいる。楢などの広葉樹が集団枯死するナラ枯れの蔓延が深刻化しているのも、木々の放置と深い関係があるという。

        蝶舞うて入り来る里の雑貨店   島春

 周辺の自然環境の豊かさがうかがえる日本の片田舎の情景である。このような日常的な自然との触れ合いが急速に失われていくこの頃である。その補償であろうか、「自然公園」の類は整備が進んでいる。本物の自然では避け難い雀蜂や蝮などの危険は除かれていて、自然らしく見えるように演出された空間である。自然という言葉に抱くイメージが、人により、また時により様々であるとともに、自然そのものが急激に変遷しつつある。

  • 掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)三月号(通巻七七四号)


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桜の花の咲く頃

川井正雄  

 桜の花が一斉に咲いて春を告げる。戦後の荒廃からの復興のシンボルのように日本中に染井吉野が植えられた。校庭の花の見頃が概ね入学や進級の時期であるが、最終学年であれば社会の荒波へと旅立つことになる。

        花咲きぬ世の中風雨あるものと  月斗

 かつて父が植えた桜は樹齢五十年を優に越え、その幹を背にしてこの句碑がある。句は大正十五年、母が女学校を卒業した時に月斗先生から戴いたものである。

        遊園地成り桜咲き家が建つ    島春

 津々浦々に植えられるのは大抵が染井吉野で、この品種は江戸時代に大島桜と江戸彼岸桜のかけ合わせで生まれた。純系の子孫の出来ない一代交配種で、すべては最初の一本からの接ぎ木、挿し木で増やされたものという。我が家の庭でも老樹に混じって、いつからか小さい桜の木が花を咲かせるようになったが、この実生は染井吉野と近隣のどこかの桜との雑種ということになる。

        駅のこの桜の開花日をメモす   島春

 お花見は年中行事であり、開花や満開がいつ頃になるか、開花予想は国民の重要な関心事である。桜前線は日本列島を南西から北東へと進んでくる。北海道や沖縄、奄美地方を除き、予想の対象は染井吉野である。前線が整然と北上し、予想が成立するのは、全国的に遺伝的変異がまったく無いからである。普通の植物ではそれぞれの木が個性を発揮するので早咲きもあれば遅咲きもある。しかし、染井吉野はクローン植物なので気象条件が同じであればすべて同時に開花しても不思議は無い。

 桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿と言われる。桜にも適切な剪定が必要な時はあろうが、下手に素人がやると切口から腐ってきたりするという。手当たり次第に切っても何とかなる梅とは大違いである。染井吉野が切口の傷から簡単に弱るのは、クローンであることと無縁とは言えまい。普通なら代を重ねる毎に多様な子孫が出来て、そのうち丈夫なものが残っていく。また様々な個性を持つ仲間がたくさん居れば、環境の変化で絶滅する危険性も低くなる。昨今は生物多様性の重要さが認識されつつあるが、単に生物種の数や生態系の豊かさだけでなく、それぞれの種の中での遺伝子の多様性が重視されている。

        息をしてゐる絶え間なく花の散る  島春
        落花しきり大岩に貼り髪に降る   かすみ

 満開を過ぎて花も散り、すっかり葉桜になった頃に造幣局の通り抜けが始まる。浪速っ子を待っているのは八重桜で、数百メートルにわたって百二十余種が咲き誇る。これらの里桜もその多くは一代限りの交配種で、増殖は接ぎ木等の手段によっているという。園芸品種の数の多さは真の生物多様性とは別次元の話である。
  • 掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)四月号(通巻七七五号)


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花の香と虫

川井正雄  

        下船するみな年寄や島薫風     島春
        薫風や眼閉ざせば鳥の聲      かすみ

 風薫る季節が訪れるが、「かおる」は「香りする」、すなわち良い匂いがするの意であろう。新緑を渡ってくる風は、葉の表面から放出された種々の分子を含んでいる。必ずしもそれらの分子が私たちの嗅覚で感じられるとは限らないが、爽やかな雰囲気が運ばれてくる。

        薔薇の香を高め噴水乱す風     かすみ

 自然界のいい匂いと言えば花の香りであろう。花は植物の生殖器であり、開花は始まりに過ぎず、受粉、結実を経て、次世代に生命をつなぐ。雄蕊から雌蕊への花粉の届き方には、風任せの風媒花や、動物に送粉を頼む虫媒花、鳥媒花などがある。雄蕊と雌蕊が同居する雌雄同花なら受粉は簡単というわけではない。多様な子孫を残して種の存続、繁栄を図るには近親交配を避けるのが望ましい。そのために自家受粉が起こらないような工夫をしている植物も多い。適齢期(?)をずらせる雌性先熟や雄性先熟はその一例である。遠く離れた雌蕊への送粉を昆虫に頼む場合、多種類の虫達が多種類の花をランダムに訪れるとすれば、効率的な受粉は期待し難い。商店街での買い物では、目的の商品を売る店を看板で見分ける。看板は、行き交う大勢の人波の中から購買客を惹き付ける役割を果たす。売買の効率化のための看板の文字に相当する役割を、花と虫では匂いが担うことも多い。

        クローバの香に寝て斯しては居れず 島春
        梔子の花香に立ちて雨霽るゝ    かすみ

 花はそれぞれに匂い分子を放出し、虫の方は様々な香りの中で、特定の花の香りを好み惹き付けられる。したがって、ある植物に注目するとその花の蜜に来る昆虫の種類は限られており、昆虫の側にすれば訪ねて行く植物の種類は少なく、効率的な送粉関係が成立している。虫と花の間のペアの形成に花の形が大きく関わっている場合もある。ラッパのような形の花筒の奥に蜜を用意している花と、その花の形に適合するように特化した長い口吻を持つ虫との関係は、互いに依存しつつ進化して今日に至ったものである。花粉を運ぶ労働者の虫と、蜜の供給者たる植物との相互の利害の一致に過ぎない。

 生物種同士の共進化が暖かい助け合いのように映る例は結構多いが、決して他者への配慮ではない。互いに自らの利益を追って進化した結果が偶々そういう結果になったに過ぎない。人類はその誕生以来、自己の生存、欲望を求め、無用の殺生も重ねつつ今日に至った。進化によって高い知能を得た私達からの他生物への影響は桁違いに大きい。そして、他の生物種の存続、繁栄にも心を配ることができる唯一の生物種がヒトである。

  • 掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)五月号(通巻七七六号)


川井正雄  

 視覚、聴覚、触覚を含めた五感覚のうち、味覚と嗅覚は、分子の類を直接に舌や鼻の受容器で認識する。化学感覚とも呼ばれるが、生存のために環境中の有益、有害な物質を判別する機能が進化したものと考えられる。

        藤活けし部屋に人来てコロンの香  島春

 香水は、いい匂いとして人のつながりに関わる。嗅覚は生存のためのセンサーとしては脇役ではあるが、匂いは私達を豊かな精神世界へ導き、周囲の情景に深みと広がりを与える。季節の花の香りは歩みに興を添える。

        呼ばれたるかに葛花の香に向きぬ  島春
        歩度緩めず香の木犀は未確認    同

 犬の嗅覚は私達より遥かに鋭い。共に歩けば、飼い主には代り映えしない景色でも、散歩の主人公には新鮮で豊かな匂いの世界が広がっていることであろう。ところで、犬のお伴をしていると、時には落とし物をするので、始末をしなければならない。片付ける準備を始める頃には、どこから現われたかすでに蠅が一、二匹たかっていたりする。今までは草陰に潜んでいたのであろうが、彼等にとっては、ご馳走であり産卵場所でもある。「いい匂い」を早速に嗅ぎ付けての登場である。

 花の匂いといえば芳香を思い浮かべるが、東南アジアに咲くラフレシアの花は腐臭を放つ。この世界最大の花に惹かれて集まってくるのは蠅の仲間であり、受粉の手助けをしてくれる彼等を誘うための工夫が、腐った肉の匂いである。蠅達にとっては、甘い蜜の匂いよりも、はるかに魅力的なのであろう。生き物が違えば、何が良い匂いで何が悪い匂いかも、それぞれ違ってくる。

 竜涎香という貴重な香料の名前の由来は、海底で安息に眠る竜の口から垂れる香り高い涎である。この高価な代物は、実は末香鯨の胃腸に生じた異物である。人間は何と変な物を有難がる生き物だと鯨が呆れていよう。

        屠蘇風呂や抹香鯨浮かぶなり    島春

 末香を火にくべる焼香や、仏に線香を上げる習慣は、法要などで普通に見られる。古くは、香木を焚いてその香りを楽しむことが上流社会で盛んで、静寂と集中の中で感性を磨く香道は、茶道などと並ぶ芸道でもあった。

        香炷いて座敷無人や鏡餅      島春

 いつも香を薫じていると、自然と衣服などに香りが付く。そのように自己の経験が心や体に印象を与えてその影響が残存することを仏教では薫習というそうである。習い性となるという言葉もある。日々の過ごし方が大事な中で、食生活、食習慣の重要性を示して医食同源という。成人病が生活習慣病に呼び方が変わり、偶々運悪く病気になってしまったとも言えなくなった。生活習慣病をきつい表現で言い換えると自業自得病となる。
  • 掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)六月号(通巻七七七号)

<註記> 『薫習』については、大谷大学 図書館・博物館報「書香」第29号(平成24年3月)の巻頭言「書の香り」(真宗総合学術センター長・教授 藤嶽明信氏)を参考にさせていただいた。

 


匂いの絆

川井正雄  

 蟻は働き者で常に忙しく動き回っている。自分より遥かに大きな荷物を大勢で運んでいるのもよく目にする。

        せかせかとする蟻見えてそれを観る 島春
        蟻働ける時間観て居る我が時間   同

 地面に飴玉などが落ちていて、そこから巣穴まで無数の蟻からなる黒い帯が出来ていることがある。最初にご馳走を見つけた蟻が巣穴まで道標となる匂いをつけて歩いたのが始まりである。匂いをたどって多くの仲間が少しずつ齧り取った食べ物を運ぶ。かすかだった匂いの道は、やがて太いしっかりとした匂いの大通りとなる。

 毎年、雀蜂に襲われたというニュースが報じられる。刺針から放出される毒液には、仲間を呼び寄せて攻撃モードにさせる物質が含まれている。下手に抵抗して、仮に最初の一匹が退治できたとしても、匂いを嗅ぎ付けて襲来した同胞達の返り討ちに遭えば生命にも関わる。

        浜木綿や巣箱に収む女王蜂    かすみ
        分封の蜂群寄する木の茂り    同

 蟻も蜂も社会性昆虫であって女王が頂点に君臨する。蜜蜂の女王は、召使いの働き蜂からローヤルゼリーなる特別食を与えられて育つ。働き蜂は、実は雌に生まれながらも雌となれずに女王にかしずく一生を送る。働き蜂としての運命を決めているのが、女王が分泌する女王物質で、これが周囲の蜂の卵巣の発育を抑える。加齢による分泌の減少は、新たな女王の誕生、分封へとつながる。

 体内で生産、体外へ放出されて同種の仲間に作用する物質がフェロモンである。蟻の道標フェロモン、雀蜂の警報フェロモン、蜜蜂の階級分化フェロモンについて述べたが、巷で最も有名なのは性フェロモンであろう。

 広い自然界で結婚相手を見付けて種を存続させていくため、生物は様々な工夫を行っている。昆虫では、私達と違って視覚情報は重要ではなく、雌が放出し、雄の触角に到達して雄を求愛行動に誘う匂い分子、性フェロモンが決定的な役割を果たす場合が圧倒的に多い。

 フェロモン女優といった表現もあり、人間にも同様なフェロモンがあるのかは気になるところであろう。鼠、鹿、豚等の哺乳類では性フェロモンが機能していて、鼻の中にある鋤鼻器という器官がその受容器である。私達の鋤鼻器は退化しており、異性を惹き付けるフェロモンの類は存在しないと考えられている。その代替品が香水であるとみなすこともできよう。肌や髪につける香粧品に、蜂類の警報フェロモンに類似した化合物が含まれている場合がある。生物が長い年月をかけて作り上げた情報伝達の仕組みの一つがフェロモンの利用である。その絆の世界に、それとも知らず地球上の新参者が我が物顔に踏み込んで、手痛いしっぺ返しを喰うこともある。

  • 掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)七月号(通巻七七八号)

宿題

川井正雄  

        夏来る風走り行く鼻先に      島春
        水を得て魚になる子や夏休み    同

 中学生になって初めての夏休みの宿題に、毎日の腕立て伏せというのがあった。何回出来たかを記録して四十日間のグラフを提出する。長い夏休みならではの課題である。最初の日は十三、四回続けるのがやっとであったが、ツクツクボウシが夏休みの終わりを告げる頃には、その三倍近くも出来るようになっていた。腕や胸の筋肉が痛くなって前日の記録よりも悪い日が続くこともあったが、その苦しい時期を過ぎると、また記録が伸びていった。十代の早い時期に「継続は力なり」を実感し、その記憶は私の内部にしっかりと刻み込まれた。

 努力の重要性やその効能が確かであるとしても、何事によらず持って生まれた素質次第で、得られる成果に自ずと制限があることは論を俟たない。運動会などでは、個々の能力、技量の差が衆目に曝されてしまう。特に球技が苦手であった私は、スポーツ大会の類は可能なら避けて通りたかった。他者と競うことは励みになり得るが状況次第では却って意欲をそぐ場合もある。件の夏休みの宿題は、他者は関係なく純粋に自身の努力の結果と向き合うという点でも、卓越した課題であった。以後も、この腕立て伏せに勝る宿題に出会うことはなかった。

        跳ねて行き転んで戻り卒園す    島春

 体を動かすことはそれ自体が楽しい。子等は喜んで跳ね回ったり、歌ったり、お絵描きをしたりする。年が進めば、異国の言葉を覚えたり、生き物の暮らしや機械の仕組みや、世の中の歴史を知ることが大いに知的興味を満足させる筈である。それなら学校は楽しみの詰まった場であろうが、現実はそうではない。例えば英語は知識の吸収、情報の発信、国際交流など、様々な形で国際化した現代を生きる素養を高める。しかし、点数を付けて能力を計る手段に使われる教科の一つと思えば、大方の生徒にとって楽しかろう筈はない。現在活躍中の歌手が学校時代は音楽の時間が嫌いだったという話もよく聞く。知的興味をそぎ、好きな筈のことまで嫌いにしてしまうような側面が学校教育にあることは否めない。

 市民マラソンの大会が各地で開かれているが、受付開始間もなく定員オーバーの例もある人気振りである。形の上では互いに競い合って走るスポーツ大会であるが、実際は参加者は長いレースを自分と向き合いながら走っている。マラソンは完走を果たした全員が勝者の気分を味わうことができる希有なスポーツである。学校も、徒に競争を求めず、学んだ全員が素直に充足感を味わえる場であって欲しい。我が国の教育界が取り組むべき宿題と思いたいが、単に叶わぬ夢に過ぎないか。

掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)八月号(通巻七七九号) 

<註記> 67歳の4月から1年間、自然環境市民大学を受講した。この市民大学は、受講生、修了生のひとり一人が素直に充足感を味わえる場であった。

川井正雄 

 雲一つない日本晴れといえば、秋の空が一番似合う。澄み切った空の高さを感じる季節の到来である。

        端正の屋根反り澄める空の秋    かすみ
        借景の山の稜線秋晴るゝ      同

 夏の暑さが産む入道雲は、低い位置から立ち上がってその坊主頭は十キロ以上の上空にも達するが、涼し気に浮かぶ鱗雲、鰯雲は、最初から高い秋空で生まれる。

        日常茶飯の窓開けたれば鰯雲    島春
        秋の雲天は地よりも豊かなり    同

 天の恵み、地の恵みを受けた山野の植物、田畑の作物が豊かに稔り、実を結ぶ。豊作は動物の成長発達に繋がり、馬肥ゆる秋である。十分な収穫を得るために、耕作地には肥やしを施す。肥沃な土壌が豊かな農産物を産み出し、痩せた土地の動物は栄養が不十分で痩せている。

 私の記憶にある半世紀前の日本では、恰幅が良いのが富裕層で、痩身は病気や貧困による栄養不足を連想させた。近所の銭湯では、体重計の目盛りを少し重めにずらせてあった。痩せていると思って嫌な気分にさせないような配慮であって、体重が増えていれば幸せであった。

 敗戦でどん底にあった我が国の食糧事情は、戦後の復興とともに目覚ましく好転した。今や、好きな物を、好きな時に、好きなだけ食べることも不可能ではない。栄養不足よりも、栄養の過多やバランスの崩れの方が深刻となる。過食は肥満に、肥満は病気につながる。

 人類の歴史の大部分は、生存のための糧をいかに確保するかに苦労してきた。食糧確保が不安定なら、食べられる時に体内に貯め込んで、来るべき食糧不足に備えることが望ましい。食べても、その栄養が身に付かないとしたら、生物としては欠陥である。しかし、飽食の時代と言われる今日、食べて太るという生物としてむしろ当然の理が裏目に出る。栄養にならないことが、食品として高い評価を得るという不条理を不思議とも思わない。

 空腹の時代を生き延びてきた私たちに、豊富な食糧の中での健やかな生き方が問われている。貧しさを耐え忍んできた身が、僥倖で金回りが良くなった途端に身を持ち崩す成り上がり者とのアナロジーを感じさせる。

 元々は「天高く馬肥ゆる秋」は、騎馬民族による農作物の略奪に悩まされていた中国の「秋高馬肥」に由来するという。豊穣を享受するというよりは、馬に乗って現れる外敵に備えるべき季節である。国も変わり、時代も変われば、その意味するところも大きく変わる。今や豊かな天の恵みは、心して対しないと我が身の健康を損なう外敵ともなる。私たちに求められているのは、生きる為の糧を得る努力ではなく、皮肉なことに、十分な食糧を前にして食欲のままに振舞わない自制の心である。

掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)九月号(通巻七八〇号)  

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赤とんぼ

川井正雄  

 昔、我が国は秋津島と呼ばれていたが、秋津はとんぼのことで、古代より私たちに馴染み深い昆虫である。

         赤とんぼ見上げて夢のような午後  島春
         笑った後の野の赤とんぼが密に   同

 中でも身近で愛らしいのが赤とんぼである。私たちが普通に赤とんぼと呼んでいるのは一種類のとんぼではなく、アキアカネ(秋茜)、ナツアカネ(夏茜)、ショウジョウトンボ(猩々蜻蛉)、ネキトンボ(根黄蜻蛉)など多種の仲間が含まれている。代表的なのがアキアカネで、秋津と呼ばれていたのも元々はこのとんぼであったという。交尾を終えた後に雌雄がつながったまま卵を産むことも多いが、尾っぽで水面を叩くような動作での産卵である。水や泥の中で冬を越した卵は春に孵化し、幼虫は水中の虫類を食べて成長する。幼虫は六月頃に水から出て羽化を迎え、晴れてとんぼの姿となって空を翔る。水中生活では蚊などの幼虫を、地上では成虫の方を食べてくれる益虫である。アキアカネは高温が苦手で、夏期は標高の高い山地へと集団で移動し、涼しくなった秋に産卵のために平地へと戻って来る。成虫の期間は長いのに秋の虫と思われているのは、この山からの里帰りの故である。とんぼ類の一生は水陸両方にまたがり、その消長は自然環境の変化を敏感に反映する。長期にわたり水をたたえる水田は、アキアカネのライフサイクルに絶好の環境を提供する。夏期の水田は繰返し乾燥状態に置かれるが、この時期には水を必要としない。長い稲作の歴史とともに生き続けてきたアキアカネであり、かつては群舞する姿がよくみられたのに最近は激減している。その原因は明らかではないが、市街化とともに農薬の使用や中干しと呼ばれる田んぼの水抜きの早期化など農作の変化や地球温暖化等が影響しているであろう。

 なお、近縁種のナツアカネはそれほど影響を受けていないようである。夏も平地に留まっているのは、高温でも平気なのであろうが、農薬にも強いのかも知れない。環境指標としてアキアカネの棲息状況をモニターすることは有意義であるが、そのためには極めて類似するこれら二種のとんぼを区別して数えなければならない。顔を含めて全身が真っ赤であればナツアカネの雄であるが、一般に両者を識別するのは生易しいことではない。 

 観察、計測等の資料は、データの質、信頼度が有用性を左右する。とんぼに環境を教えてもらうには、仲間同士を見分けられる程に親しんで接しなければならない。

(追記)生物の名前は片仮名表記が標準的である。ここでは、種名の場合のみ「アキアカネ」などと書くことにし、生物名の由来や命名者の思いを大事にするため、適宜、括弧書きで(秋茜)の如く漢字を付記した。

掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)十月号(通巻七八一号)

<付記> 追記で述べた生物名の表記については「草木の名前」の追記や付記でも述べた。「提案:カタカナ生物名への漢字付記」を参照されたい。  

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    分ち合う

    川井正雄  

     車窓より放牧の牛が散見されると、街の雑踏から離れたことを実感する。窓外の生き物と、伸びやかな心を共有した気分である。首が届く範囲の牧草を食べてしまうと、牛達は草のあるところへと移動する。折角の葉や茎を齧り取られてしまった植物の方も、やがては新しい芽や葉を出す筈である。管理された牧場では、動物の胃袋に収まって消える分と、植物の成長による再生とがバランスしていて、いわゆる持続可能性が保たれている。

     仮に、十軒の農家が放牧地を共有していて、それぞれがそこで十頭ずつの牛に草を食べさせているとする。もしもその中の一軒が抜け駆けをして、自分だけ放す牛を十五頭に増やしたとすればどうなるか? 今まで百頭が共存していた地で百五頭が食べていかなければならない。状況を察した牛達が、分ち合いの心で食べる分を以前より二十分の一だけ控えてくれるなら問題はない。植物の再生能力が百五頭分の食欲に追いつかないと、牛の方は牧草の地上部全部を食べてしまい、根っこまでほじくり出して食べ始めかねない。再生能力の低下、牧場の荒廃が加速し、共同牧場は破綻してしまう。

             空腹をたたみ団栗拾ひけり     島春
             うどん腹中にし菊人形の前     同

     お腹が空けば食べたくなり、お腹に食べ物が入れば満足するのは素直なことで、その点では、私たちも牧場の牛と変わるところはなかろう。しかし、それぞれが仲間意識によって自らを制御し、賢明な食物分配を行えば、大きな危機に発展することはない。先の例では、牧場を破綻させるのは、牛達の食欲ではなく人間の方の欲である。抜け駆けをするのは一人だけという想定だったが、実際は、一人が牛を増やせば、負けじと習う者が次々と現われ、結果は一層ひどいものになるに違いない。

     懇親会などの立食パーティでの経験であるが、テーブルに十分な量の料理が用意されていれば、穏やかに談笑しながら飲み物とご馳走が消費されていく。そのような時には、減ってきた料理も程よいペースで補充されて何ら問題はない。ところが、食べ物が足りなそうに見えると、時として消費速度が急に上がってしまう。うかうかしていると食べ損ねるかもとの思いから、ご馳走が早く消えていく。恥ずかしながら、自分もそういった心理状態に簡単に陥ってしまう一人である。世の中は性善説、きれい事だけでうまくいく程に甘いものでない。

     身内同士で分ち合うことは出来ても、見ず知らずの他人の間では難しい。地球規模での食糧配分は深刻な状況となっている。作り過ぎた料理や余った食材が惜しげもなく廃棄されている一方で、十分な食事が得られない多くの人々が飢えに苦しみ、子等が餓死している。

    掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)十一月号(通巻七八二号)

    川井正雄 

     かつては蒼天高くにあった太陽も、彼岸を過ぎ冬へ向かうにつれ日を追って低くなる。窓からの日射しは部屋の奥まで届くが、日の出は遅くなり日の暮れは早まる。

            冬日の出遠く応へる窓ガラス    島春
            縫ふ針目より暮れそめて日短かき  かすみ

     冬の日は短く夜が長いのに今も昔も変わりはないが、時刻の捉え方は随分と違っていた。庶民の家に時計が登場するのは文明開化以後で、江戸時代の人達は日の出、日の入りやお寺の鐘で時を知った。一日は子丑寅卯辰巳午…と十二分割されていて、太陽が南中するのが文字通りに正午で午前と午後を分ける。昼夜を分けるのは日の出前の夜明けと日没後の日暮れで、卯、酉の刻に相当した。従って彼岸の中日、すなわち春分や秋分でも昼夜の長さは等しくなく、昼より夜が長かった。一日を十二等分するのではなく、同じ日の昼と夜とで、また季節によって一刻の長さが異なる、いわゆる不定時法である。今の世で考えると一時間の長さが昼夜で異なれば列車の運行やテレビ番組等は混乱を極めよう。しかし、別に不都合はなかったようで、むしろ当時の生活リズムに即した実用的な時制であった。明治六年に新暦として西洋式の太陽暦が施行され、一日は二十四時間に等分された。

     万物、天地は天帝の支配にあり、その意を受けて地上を支配するのが天子、皇帝であるというのが中国の古代からの考え方であった。皇帝は日月蝕、流星、彗星等の天文現象および雷、稲妻、虹等の気象より天帝の意思を汲み取って国を治める。気象災害の発生は皇帝の不徳とも結びつけられた。暦象を把握して正確な暦を作製し民に与える観象授時は皇帝の重要な責務であった。天文は天象異変から吉凶を判断する占い的な技術であり、日本では陰陽寮が天文暦等に関わっていた。ずっと中国の暦に依存していた我が国であるが、十七世紀後半に近代天文学の祖、渋川春海による初めての国産の暦の誕生を見る。なお、明治維新の改暦まではすべて、月の満ち欠けに基づいてひと月を定める太陰太陽暦であった。

     東日本大震災の大津波の惨禍は筆舌に尽くせない。人災が天災を著しく増幅した。天災は誤った為政への天帝の怒り、天罰ではなく、地震は地球の歴史の中での必然の出来事であろう。しかし、制御や後始末の技術が未熟なままで原子核を壊して分不相応のエネルギーを獲得する所業は、旧約聖書に記される天まで届くバベルの塔の傲慢を想起させる。原発事故より六百日を超え、今年の暦も残り少なくなってきた。旧暦は新暦に対する改暦前の暦であるが、言葉が似る古暦は今年の残りである。

            時はすべてを支配す壁の古暦   かすみ
            うたかたの悲喜捨て去らむ古暦  同

    掲載:「春星」平成二十四年(第六十七巻)十二月号(通巻七八三号)

    < 註 記 > 日本初の国産暦、貞享暦を作製した渋川春海を主人公とする「天地明察」(冲方丁著)が平成十二年に本屋大賞を受賞、十四年に映画化された。

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