「春星」誌への寄稿文集 (3/4) 平成25年1月〜12月
時の流れ
川井正雄
年の初めともなると、あらためて時の流れを感じる。
燠の色に生まれ日マーク初暦 島春
宇宙の誕生は、今から百三十七億年前という。この気の遠くなるような長い期間を一年に縮めて考えてみる。ビッグバンの宇宙誕生を元旦の零時零分とし、大晦日の午後十二時を現在とすると、四十六億年前の地球の誕生は八月末日頃となる。生命の起源が九月二十日で、最初の動物は十二月二十三日に出現、人類が登場するのは何と三十一日の午後十一時五十三分五十秒頃である。石器時代、古代文明、産業革命等を経て今日に至るのは、わずか六分程度の間の出来事ということになる。古稀を迎えた私の人生などわずか一秒の六分の一に過ぎない。星空を仰ぎ、宇宙に比して自分の存在の小ささを悟ることは多いが、宇宙の歴史を思っても自らは小さい。
日常世界では扱わないような大きい数値を比較するのは難しくて、なかなかピンとこない。しかし、地球に最初の生命が現われたのが百日前に対して、原生人類はわずか六分十秒前と考えると、生物の進化の歴史の中での私達の位置づけを直感的に捉えやすい。多様で複雑な今日の生物界も、海の中で誕生した単細胞生物からの進化の結果である。生物は周囲の環境に応じて進化するとともに、生物の存在自体が環境を変化させてきた。藍藻の一種が光合成を行って、酸素分子の乏しかった初期の地球に酸素を供給した。その結果が、酸素を用いる酸化反応によるエネルギーの生産、すなわち呼吸をする生物の出現につながった。また大気中の酸素の増加により、生命体にとっては危険な宇宙線、紫外線を遮断するオゾン層が形成され、海中で暮していた生き物の陸上への進出を可能にした。先ず植物が上陸して干涸びた大地が水分を保つようになり、動物の棲息を許す地上環境を提供した。以後も続く環境と生物の変遷の結果が今日の地球の豊かな生態系であるが、最後に出現した人類が桁違いに急激な環境変化を引き起こしている。種々の生物がその変化に対応して進化するような時間的余裕はない。
武田信玄の旗指物、風林火山にある「不動如山」は兵法書、孫子の中の語句という。常識的には大地はまさに山の如く動かざるものである。しかし、数億年のタイムスケールで考えると、大陸でさえも流動する物体とみなされる。固体と液体の区別は時間軸の尺度の取り方によることになる。年代物の窓ガラスでは一枚のガラスの上と下とで厚さが違ってきていて、上部は下部よりもごくわずかに薄い。ガラスは非常に粘度の高い液体と考えることができる。近視眼的な見方に囚われず、せめて自分の一生程度の時間の変化も時には感じてみたい。
苜蓿や使っても使っても時間ありし昔 島春
寒 風
川井正雄
体が硬く姿勢も悪くなってくるのは、寄る年波の故で致し方ないことではあろうが、ささやかな抵抗としてヨガ教室に顔を出し始めた。先生の指示通りに出来なかったり、少々曲がり方が足りなかったりしても、隅っこで大人しくやっていれば目立たないだろうと高をくくっていたのは甘かった。「今日は『枯木』のポーズが難しくて出来なかった」に対して、家人曰く「それは『立ち木』のポーズでしょ!」。若い時からバランス能力が低かった筆者にとって、一本足でよろけずに立ち続けるのは至難の技である。山の賑わいの枯木にも程遠い。
黄昏の色は身近き枯木にも 島春
冬雲は動かず桜枯木揺らぐ かすみ
枯木は生命力を失って枯れてしまった木ではない。葉を落とした姿ながら寒風の中でも凛として立っている。
葉は、空気中の二酸化炭素と根から吸い上げた水分を原料として、太陽光のエネルギーを用いて栄養分を生産する。葉緑体で進行するこの光合成の産物が、地球上の全生命を支えている。天に舞う大鷹も地中の蚯蚓も、食物連鎖をたどれば、最終的には生産者としての緑色植物に行き着く。落葉樹の葉は、常緑樹に比べると薄く広がっており光合成が効率的に行える。表面から水分を蒸発させて暑さをしのぐのにも好都合である。冬に葉を失うのは寒さに負けて葉が枯れ落ちるのではなく、落葉樹は元々そのように仕組まれている。無理して丈夫な葉を作らず、日照の少ない冬の間は葉を無くす戦略である。葉は冬が近づくと構成成分の大半を中央に戻し、自らは干涸びて付け根のところに脆い切り離し面を作り、やがてはそこから離れ落ちる。寒風に耐えて残る山香ばしの葉は受験のお守りとなるが、往時の青葉も色を変え地面に散って行くのが本来のまっとうなプロセスである。
ミュージアムより若葉見え暮し見え 島春
シャンソンの枯葉を美術館へ踏む 同
子供の頃は、冬になると手足の先や耳たぶ等に凍瘡、すなわち霜焼けが出来ていた。体の中心から遠い末端部の血の巡りが悪くなったためであるが、衣食住が著しく改善されている現在、霜焼けは稀であろう。冬山の遭難などで、極度の低温に曝されると、凍瘡より重傷の凍傷になり、血流の滞った部分が壊死に至る。冷たくなった体表から低温の血液が大量に心臓に戻ってくると体心まで冷えきって死が近づくことになるので、中心部を守るために局所の血管を収縮させた結果である。落葉樹ならぬ身は切り捨てるべき落ち葉の類も持たず、末梢を犠牲とする防御反応の始まりが霜焼けである。
思いはあれこれと巡り老市民ランナーは寒風を行く。
木枯らしを駆ける耳吾が耳に非ず掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)二月号(通巻七八五号)
花 粉
川井正雄
三寒四温とはよく言ったもので、春に向かってほぼ一週間の周期で天候の変化が繰り返される。春の日射しが暖かさを増してくる頃、マスクをつけた顔を見ることが多くなる。目的は風邪等のウイルスからの防御ではなく、飛び交う花粉から身を守るためである。
空を引っかき引っかく梢杉花粉 島春
どちらも小さくて目に見えないとはいえウイルスと花粉の大きさは蟻と象ほどに異なる。ウイルスを見るには電子顕微鏡が必要である。一ミリメートルの三十分の一程度の杉の花粉の一個を肉眼では捉えることは出来ないが、杉林で褐色の煙のように花粉が風で舞い立つのを見ることも多い。いくつかの花粉が寄り集まった塊がさらに集団をなして漂っているのであろう。
日が射せば風吹けば松の花盛り 島春
白樺の幹しらじらと春愁に かすみ
花粉症の原因となるのは勇名を馳せる杉花粉だけではなく、少し遅れてピークを迎える檜や約二ヶ月後に飛散する松の花粉など、多種の植物の花粉がアレルギー症状を引き起こす。杉がほとんどない北海道では白樺が原因の花粉症に悩む人々が多いそうである。これらの樹々の花が地味なのは、目立った花弁で虫や鳥たちを惹き付ける必要がないからである。子孫繁栄のため、風媒花は厖大な数の花粉を空中に放ち、遠くの仲間へ届ける。
二百年近く前のことであるが、水に浮かべた花粉が水を吸って膨らみ破裂するのを観察していた植物学者は、花粉から出て来た粒子がジグザグ運動をすることを見出した。発見者に因んでブラウン運動と呼ばれるこの不規則な運動は、無生物の微細なかけらでも見られる。
海水浴場満員ブラウン運動す 島春
泳ぎたくても自らの意志通りにならない人々の様子の描写である。海水浴客の動きは別として、自らは動く能力の無い粒子が動くのは、周囲の水分子がぶつかってくるからである。花粉自体は大き過ぎて動かないが、もっと小さな粒は水分子の影響を受ける。顕微鏡で観察される小粒子の動きが、顕微鏡でも見えない水分子の熱運動を示している。なお、ブラウン運動が水分子の熱運動によることを明らかにしたのはアインシュタインであって、ブラウンの観察から八十年近く後のことである。
事物の核心は、意外と見えなかったり、見えていても目に映らないことも多い。眼光紙背に徹す、行間を読む等の言葉もある。見えるもの、目立つものだけに目を奪われず、その奥にも意識を向ければ、新しいものが見えてくるかもしれない。
角々と街伸び凧も羽子も見ず 島春
申し分なき花園で蝶を見ず 同
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)三月号(通巻七八六号)
たんぽぽ
川井正雄
山に里に野に、花が咲き鳥が鳴くと歌われてきた春の訪れではあるが、かつては身近だった筈の動植物が減ってきている。その中で、たんぽぽは昔ながらに野原や路傍に咲いていて健在ぶりを示しているように見える。
名の山を遠見の眼もて黄たんぽぽ 島春
ひとくちにたんぽぽといっても、その種類、分類は複雑なようで、カントウタンポポ(関東蒲公英)をはじめ、東海、関西、信濃など地方の名を冠したものも多い。
たんぽぽは春の花と思い込んできたが、最近は夏や秋にも咲いているのをよく見かける。この季節感の乏しい種は、明治時代にやってきた新参者のセイヨウタンポポである。黄色の花を下から包みこんでいる緑色の総苞の外片が反っくり返っているので在来種と区別できる。
関西地区を中心に五年毎に総合的なたんぽぽ調査が行われており、八回目の二〇一〇年には西日本十九府県から七万七千を超えるたんぽぽが集められた。外来種が在来のカンサイタンポポと置き換わっていく傾向がずっと続いている。しかし、分布域を見て見ると、昔ながらの農村地帯では在来種は依然として健在である。外来種に席巻されているのは新しく開発された土地や都市化された地域である。たんぽぽが環境の変化を示す恰好の指標となっている。厄介なことに総苞片の形状では判別のつかぬ中間種も現われ、在来種と外来種の交雑が起こっていることがDNA検査によって確かめられた。
たんぽぽのブリーダーたり毬吹いて 島春
幸はたんぽゝの絮の散る限界 かすみ
一つの花のように見えていたのは花の集合体で、花びらの一枚一枚が実は一人前の花であった。そのそれぞれが冠毛を掲げた種子となって綿毛の球を形作る。惚れ惚れとする純白の姿は、子孫を殖やすという目的に適った見事な完成品である。別に人の助けを借りなくとも、風が毬をほぐして遠くまで種を運び散らしてくれる。
愛媛県の大洲市周辺に多く見られるオオズタンポポは東海地方に生育するトウカイタンポポに類似する。遺伝子を調べた結果、単に見掛けが似ているだけでなく同じ仲間であることが明らかとなった。江戸時代の始め、美濃黒野藩の藩主は徳川幕府の命により、山陰の米子城主を経て伊予大洲に移り住んだ。殿様の国替えに伴って前の領地から移植された樹木等とともにたんぽぽも大洲城への入城を果たしたと推測されている。この場合、はるか四百キロ離れた地までブリーダーの役割を果たしたのは美濃の植木職人ということになる。米子市にも同種のたんぽぽが生育していることがこの推測を裏付ける。もの言わぬ道の草も、問われれば語るべき出自を秘めている。たかがたんぽぽ、されどたんぽぽである。掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)四月号(通巻七八七号)
葛 藤
川井正雄
眠っていた木々が芽吹き若葉の緑が映える季節を迎えると、山も野も空も川も湖も活き活きと目に映る。
新樹積み重ねたる頂きに雲 島春
水碧く新樹の影を溢れしむ かすみ
しかし、春山淡冶にして笑うが如くとは裏腹に、近くの山林や竹林が荒荒として泣くが如き様を見ることも多い。里人との共存の長い歴史が断ち切られて人手が加わらなくなった故である。よく管理された竹林は傘を差して歩き回れる程の余裕があるという。荒れた藪は密で枯れた竹が倒れて横たわることもままならない。樹林も間伐を怠ると樹冠が空を覆い林床に陽光が届かない。季節の花も殆ど見られず豊かな自然からは程遠い。放置は自然か、どのような自然を求めるか、議論は尽きない。
荒れた雑木林の手入れに関わったことがあるが、つる植物が絡まった木々の伐採は厄介である。葛藤は心の中での相容れない感情の対立や人間関係における相克などを表す言葉である。生い茂って錯綜する葛や藤のつるのように、縺れて容易にほどけない様を表し、元は仏の道の修行の妨げになる煩悩の意であるという。葛のつるは右巻きであるが藤は左巻きである。巻き方が反対の両者が絡まれば、解きほぐすのに一層難渋するであろう。
藤夕べ遊戯に負けて泣く子あり 島春
ジーンズの対話花葛原が巻く 同
山藤のつるは普通の藤とは逆の右巻きであり、両者は近縁ながら別の植物である。一方、朝顔を右巻きと呼ぶ人と左巻きと呼ぶ人が居るが、これは呼び方の問題である。電球やねじ釘の類は右らせんになっていて、この巻き方が国際的、学際的に認められている右巻きである。朝顔もこの定義では右巻きであるが、つるの先端を上から眺めると左回りに成長する。大抵の神社の注連縄や横綱が土俵入りで締めているのは右巻きであるが、この捻り方は左纏い、左撚り、左ない等と呼ばれてきた。こういった事情をひきずって、我が国の植物関係の書物ではいまだに朝顔を左巻きと記述するものが少なくない。この辺りの事情を把握していないと不毛の議論へと発展しかねない。世には相容れない主張の衝突も多いが、相手の主張が拠って立つ根拠の理解に努めれば、無用の誤解が解けて相互の歩み寄りが可能な場合もあろう。
葛は秋の七草に数えられ根の澱粉は昔から食用とされてきたし、藤は花札の四月に描かれている。ともに我が国で古くから親しまれているこれらの豆科植物がつるの巻き方では葛藤する間柄であるというのも面白い。
(註)山藤との混同を避けるため右巻きの方の藤は野田藤とも呼ばれる。本来は葛藤の葛はここで述べた植物種の葛ではなく、つる植物一般を示す「かずら」であろう。
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)五月号(通巻七八八号)
<追記> この話題に関する一文『クズとフジの葛藤』を、「Nature Study」誌(大阪市立自然史博物館友の会発行)に投稿し、2013年8月号に掲載された。
梅雨茸
川井正雄
踏めば沈む苔しつとりと梅雨に入る かすみ
梅雨こもりして一城の主たり 同
梅雨明けの雲の余情も暮れてゆく 島春
我が国の豊かな季節の移り変わりの中で梅雨どきは独特の位置を占める。紫陽花の葉の雨に濡れた新鮮な緑やそこに憩う蝸牛は梅雨の風物詩であるが、大方が鬱陶しいと感じるのがこの季節であろう。じめじめと雨模様が続くと、壁などに黴が生えてきたりする。見慣れない茸が色々と発生するのもこの時期である。
寄せ植えの鉢が産み出す梅雨きのこ 島春
梅雨茸を躙り迷路の墓所訪ね 同
私達にお馴染みの松茸や椎茸などの茸類も、パンやビール作りでお世話になっている酵母も、様々な黴の仲間も、共に菌類に分類される。やっかいな水虫は白癬菌という黴が足の指などに居着いた状態である。薬をつけると改善するが、取り付いた水虫の根治は容易ではない。しかし、素足にサンダルや下駄履きといった風通しの良い昔風の環境に置けば自然に治ってしまう。
菌類は真菌とも呼ばれるが、バクテリア、すなわち細菌との混同を避けるためである。細菌は真菌より原始的な単細胞生物で細胞核を持たない。清潔なつもりでいても、私達は目に見えない多種多様な細菌類に囲まれて暮している。多湿温暖な環境で繁殖するものが多く、例えば、濡れたまま放置された布巾は雑菌だらけになってしまう。長く風呂に入らなければ臭くなるのも細菌の繁殖の故である。不潔は不健康につながろうが、雑菌の大部分は無害である。私達自身の腸内には大量の細菌が棲んでいて、ビタミンKを生産するものも含まれている。抗生物質を摂り続けて善玉の腸内細菌群を弱らせると、自らの栄養摂取が損なわれる。口内も細菌だらけで虫歯の元凶が混じっていたりするが、多くは無害である。昔は傷口に唾液を付けたり舐めたりしたが、身体が慣れ親しんでいる無害な細菌類で表面を覆って化膿を引き起こす細菌の増殖を抑えていると考えることもできる。
私達が暮らす空間を完全に滅菌するのは不可能であるし、また細菌が居ない無菌状態が望ましい状態でもない。消毒した病室は抗生物質に抵抗する耐性菌の温床ともなり得る。院内感染で怖れられるMRSAなどの多剤耐性菌は無敵の強豪に見えて実は弱虫である。抗生物質には強いが、ライバルとなる雑菌類が居ない特殊な環境でしか威張れない内弁慶で、多様な細菌が共存するまともな環境下では鳴りを潜めている。私達も、清潔過ぎる環境では免疫力が低下するようである。自らも生態系の一員である私達にとって、見えない微生物の類も含めた多様な生き物との共存こそが健全な姿とも言えよう。
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)六月号(通巻七八九号)
空 気
川井正雄
息は生きるに通じるとも言われており、私たちの生命は息をすることによって維持されている。
我が呼吸梅雨明けの富士も呼吸 島春
余花の寺へ石段一つを息一つ 同
呼吸によって新鮮な空気が肺に送り込まれ、毛細血管に取り込まれた酸素分子を血流が全身の細胞へ運ぶ。運動をすると息が弾むのは、筋肉が収縮するためのエネルギーを得るために多くの酸素が必要となるからである。呼吸だけでなく心臓の鼓動も速くなり、赤血球が運んできた酸素分子はエネルギー消費の場へと供給される。
夕焼に腕組みすれば鼓動あり 島春
手の甲に夏の静脈浮きにけり 同
燃焼は酸素分子による酸化反応であり大量の熱が発生するが、生物は栄養物の酸化反応を巧みに制御して体内で利用できる形のエネルギーを取り出す。結果的には体外での燃焼反応と同様に二酸化炭素が生成し、静脈血に溶けた状態で肺に戻され呼気として排出される。
哺乳類や鳥などは肺呼吸であるが、池の鯉や海の鯛は口をぱくぱくさせながら水中に溶け込んでいる酸素を鰓から取り入れる。虫の息という表現があるが、昆虫は口ではなく胸部や腹部にある気門から空気を出し入れする。植物の呼吸は更にひそやかで、葉っぱや木肌にある気門を通して行われる。昼間は光合成の副産物として放出する酸素量の方が多いであろうが、やはり生きて行くのに必要な酸素を大気から得ている。生物が酸素を利用する呼吸の能力を獲得したのは、光合成をする植物の出現により大気中の酸素が増加してからのことである。今では、ほぼすべての生物が酸素を頼りに生きている。もし今、酸素が不足する事態となれば、存続を許されるのは酸素を必要としない嫌気性細菌だけである。
生命活動に必須の酸素は、実は猛々しく荒ぶる危険分子でもある。金属が錆びるのも、真空パックされていない食品が劣化するのも、攻撃者としての酸素分子の恐ろしさの現れである。生物は絶えず大気中に存在する酸素からの攻撃にさらされており、それに対処する様々な防御や傷害を受けた生体成分の修復手段を獲得、進化させて今日に至っている。嫌気性の破傷風菌は、酸素分子から生じる毒性の高い活性酸素の類を処理する酵素を持たず、酸素の乏しい土中でしか生きて行けない。
噴水を澄みし空気の支へ居り 島春
蜜のやうな空気睡蓮咲くあたり 同
あまりにも身近過ぎるが故に、空気の存在は概ね意識の外にある。時には、その中に五分の一を占める酸素の恩恵に思いを巡らすこともあるかも知れないが、その恐ろしい素顔にはなかなか気付かないものである。
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)七月号(通巻七九〇号)
日焼け
川井正雄
日射しは厳しく、猛暑日、真夏日あるいは熱中症といった言葉が連日マスコミを賑わしている。
炎天下風は木陰を遊弋す 島春
緑陰の木々の息吹に觸れ憩ふ かすみ
容赦ない灼熱の太陽を逃れて木陰に辿り着くとほっとする。昔は、通りや庭に打ち水をして暑さを凌いだ。水の蒸発は気化熱を奪い周囲の温度を下げてくれる。
山からの風が見つけたあごの汗 島春
掴み取るやうに額の汗払ふ 同
冷房に慣れ切った故の発汗機能の低下や、汗として出すべき体内の水分の不足で体温調節がままならないと熱中症に至る。出来れば心地よい汗をかきたいもので、制汗剤の使用も時によりけりである。汗をかかない植物も暑さから身を守るために水の蒸発を利用している。地中から吸い上げられた水分が葉の表面から蒸発していく。昨今はゴーヤのカーテンをよく見かけるが、緑の葉が日射しを遮って、目にも涼しく、実に効果的である。
私たちは太陽からの目に見えない赤外線に暖かさ、熱さを感じているが、五感の中で情報が最も豊かなのが視覚である。緑には安らぎを感じるが、葉緑素が吸収する赤色の光が光合成を行うためのエネルギー源として地球の生命を支えている。可視光線と赤外線が、それぞれ太陽からの輻射エネルギーの半分近くを占めている。さらに少量含まれているのが、私たちの視覚の外にある高エネルギーの紫外線であって、皮膚を攻撃する。日焼け対策を怠れば皮膚の痛みなどに悩まされることとなる。
キーボード上に日焼の鼻がある 島春
日焼せし月曜の厚き皮膚背負ふ 同
日焼けは紫外線による火傷であって、皮膚が赤くなって痛んだり、挙句の果ては剥けたりする。それとは別に女性を悩ませるのは、メラニンの増加、沈着によるしみ、そばかすや肌の黒化である。有害な紫外線から身を守る砦となるこの色素が乏しい白人では、皮膚癌の発症が有色人種の何十倍も多いそうである。長期間サングラスをかけないで雪遊びをしていると角膜が炎症を起こす。いわゆる雪目で視覚が損なわれるが、大事な網膜等を守るために目の表面で紫外線を散乱させていると考えることができる。日焼けも雪目も、紫外線に負けたというよりは、正しく防御態勢を整えたともみなし得る。
風邪で発熱するのは、高温が苦手なウイルスへの対処で合理的な防御反応である。食中毒で遭遇する種々の不快な症状も、有害物を速やかに体外へ排出するためである。本質を見ず、見掛けの不都合のみに注目する対症療法では事態は好転しないばかりか、却って悪化させかねない。社会現象への対策でも同様なことが言えよう。
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)八月号(通巻七九一号)
彼岸花
川井正雄
稲作の歴史は古く、縄文時代にすでに中国大陸より陸稲栽培が伝わっていた。水稲は弥生時代からとされていて、以来、私たちの祖先はずっと水田を守り育ててきた。穀倉地帯の豊かな稔りから、田毎の月を浮かべる山峡の棚田まで、様々な風景が日本人の心に染み付いている。
日が暮るる折の案山子に表情が 島春
憂ひありおどけ案山子を黙過する 同
田圃の真ん中で威張っていたりおどけていたり、案山子が田園風景に趣きを添える。やがて稲穂が黄金色に垂れる収穫の秋を迎え、畦道に鮮やかな赤が出現する。
曼珠沙華幾何学模様に田を区切る かすみ
天界に咲く曼珠沙華は浄らかで見る者おのずから悪行を離れるというが、勿論ここでは架空の花ではなく実在の彼岸花のことである。その名の通り秋の彼岸の頃に、地中に潜んでいた球根から花茎が伸び出して花を咲かせる。葉が出てくるのは花が枯れた後であり「葉見ず花見ず」なる別名もある。春に葉が終わってから秋の開花の前まで地上から姿を消している間も、地面の下では球根がずっと土竜や野鼠の害から畦を守っているという。地中に縦横に穴を掘って蚯蚓などを捕食する土竜が畦を荒らせば、稲田から水が抜けて大変なことになる。
彼岸花列車連れ海岸線離る 島春
墓地にても赤く色噴く曼珠沙華 同
車窓からもすぐに認められるほど、彼岸花は目立つ。元々は日本になかった植物で、大陸から稲作とともに入ってきたらしい。紛れ込んだか、意識的に導入されたのかは定かではないが、土竜や野鼠の害から田畑や土手を守るために、植えられてきた。あまりにも古くから我が国に馴染んでいるが、普通の山野草に比べて際立って鮮やかで、帰化植物と言われれば成る程と納得もできる。
日本人の主食を供給する稲は大昔にやってきた外来種であるが、歴史の浅い帰化生物は嫌われものが多い。稲の根元や水田の周辺にピンク色の塊を見かけることがある。人工物かとも見まがう異様な物体は卵塊で、所謂ジャンボ田螺が産みつけたものである。三十余年前に食用として輸入された巻貝が、見向きもされず放棄されて稲の大敵となっている。池や川と水路で繋がっていた頃の田圃には、鯉や目高をはじめ多様な水棲生物が暮していた。鯉や鮒は田螺のお化けも退治してくれるかもしれない。昨今は小川や池でも目高が希少で、沢山居ると思えばカダヤシだったりする。「蚊を絶やす」べく孑孒を捕食するこの目高もどきを導入したことも、心の故郷たる目高を絶滅危惧に追い込んだ一因らしい。見える見えざるを問わず色々な面で故郷も大きく変貌を続ける。
農地解放十年父祖の田の稔り かすみ
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)九月号(通巻七九十二号)
虫の声
川井正雄
夏の終わりを告げるのがツクツクボウシの声とすれば、秋の深まりを感じさせるのが叢に鳴く虫たちであろう。「秋の夜長を鳴き通す」と唱歌「虫の声」に歌われているのは松虫、鈴虫、蟋蟀、轡虫、馬追の五種である。
暫くやチンチロリンの音撮む 島春
鈴蟲の音の玲瓏と夢に入る かすみ
鳴くちちろ遮り作句中枢が 島春
松虫はチンチロリン、鈴虫はリーンリーンと聞こえるが、昔はこの両者の名前が入れ替わっていたと言われていて、さらに京と江戸とで違っていたという説もある。ちちろは蟋蟀のことであるが、蟋蟀には多くの仲間が居て聞き做しもチチロをはじめ、コロコロ、リィリィ、ピリリッなど様々である。昔にきりぎりすと詠まれていた虫も、実は今の蟋蟀に相当する。虫の声がかまびすしくなるのは概ね日が落ちてからであるが、きりぎりすは暑い昼間に鳴く。百人一首の「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに…」からは程遠い。このきりぎりすの呼び方はかなり新しい時代まで残っていたのか、唱歌の本に「蟲のこゑ」として最初に掲載された歌詞の五種の鳴き声の三つ目は「きりきりきりきり きりぎりす」であった。後に、この声の主は「…こおろぎや」に改められた。
鳴く虫の呼称の変遷に拘ってみたが、拘るという言葉にも最近は昔と異なる使われ方が見られる。宣伝文句の「こだわりの食材」は瑣末的なことに囚われるという本来の否定的な意味での拘りではなく、重要と信じることを妥協なく追求するといった肯定的な表現である。
鈴虫は以前から売られているが、最近は松虫も買えるようである。野の虫でなく人工繁殖ものである。日常的に種々の虫を買い、飼い、育てる時代がくれば、野鳥、野草などと並ぶ野虫なる新語が出現するかも知れない。
米国由来の球技が野球と呼ばれるようになる前に、子規は手紙で野球を「のボール」と読ませて本名の升(のぼる)にかえていた。野球なる訳語の考案者は別人であるが、飛球、死球、打者などの野球用語は子規による。
今夏イチローが日米通算四千安打という「金字塔」を打ち建てた。金字塔はピラミッドであり、その形を漢字の金の字に見立てている。摩天楼など多くの訳語が死語と化していく中、金字塔はその漢字の組合せで原語にない新しい意味、用法を獲得した。言葉は誕生、発育、変貌、あるいは衰亡と、それぞれの運命をたどっている。
虫の名前を含め生物名はすべて学術的、国際的にはラテン語で記述される。現在、ラテン語の日常的な使用はなく、年を経て言葉の意味が変わることはない。変化しないという特性によってラテン語は永遠の命を得ている。時代を越えて変わらないこともまた貴い。
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)十月号(通巻七九三号)
土に還る
川井正雄
鬼百合の零余子を戴いて、草木の扱いが得意な知人に託した。芽を出して我が家に里帰りしたが、残念ながら今夏の酷暑が応えたようで、地上からすべて姿を消してしまった。本当に絶えてしまったのか、地中では球根が時が来るのを待っているのか、何ともわからない。
落ちてもう土の顔する零余子かな 島春
土色になるまで紅葉散り重ね 同
赤かろうと黄色かろうと緑色であろうと、落葉はいずれ腐葉土となる。山道で、どこからともなくカルメ焼きのような甘い匂いが漂ってくることがある。地に落ちた桂の葉は、日が経つと微生物による分解を受けその代謝産物の中の揮発性分が甘い香気を示す。鷹の爪の落葉も同様な匂いを発するが、そのような匂いの有無に関わらずすべての落葉は時間とともに色を失い朽ちていく。
葉に比べ、植物の材ははるかに丈夫である。世界最古の木造建築は七世紀に建立された法隆寺であるが、各地に匠の技の粋を尽くした建造物や仏像が優に千年を越えて今日に残っている。しかし、寿命を終えて倒れた森林の樹々は白蟻や種々の菌類によって分解され、長くは原形を留めてはいない。そうでなければ、森は倒木で覆われた死の世界になってしまうであろう。
山野の動物たちに目を転じると、狩猟者、捕食者たちもその死後処理は他の生物に委ねられる。禿鷲が屍肉を喰らう、蟻が蟷螂の死骸を運ぶといった目に見えて分かり易い例に限らず、複雑な食物連鎖、食物網にすべての生物が関わっている。肉食動物も草食動物も吸収し残した食物の成れの果てを外部に排出する。地上が彼等の排泄物や死骸で埋め尽くされることはなく、それらはまた別の生き物の栄養となる。哺乳動物の糞を丸めて運ぶ甲虫類スカラベが古代エジプトでは聖なる存在とされ、その形を模した装飾品も作られている。我が国にも糞転がしをする黄金虫の仲間が居て鞘翅は光沢を持ち美しい。
枯木や枯草、排泄物や死骸が新たな生命を育む土壌の成分となるまでに、微生物を含む多種多様な分解者たちが関わっている。白蟻や蜚蠊の仲間もそのような森の生態系の重要な構成員である。私たちの住居では嫌われ者の彼等は、平和な暮しと土地を奪われて生き延びる先住民の姿でもある。かなり最近まで私たちの便所は農業生産のための貴重な資源であった。現代人の営みは自然界の物質循環の素直な流れから大きく外れてしまった。生態系の調和を乱しつつ生きた後は亡骸も火葬場で灰となる。昨今はペットも懇ろに火葬場で処理されることが多い。以前は死骸は庭隅に埋められ土と化していった。白萩の下愛犬の墓標立つ かすみ
在りし日の友との繋がりが庭の花にも感じられる。
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)十一月号(通巻七九四号)
始まりと終わり
川井正雄
冬は星空が美しい。満天の星に自らの存在の小ささを思い知らされるが、宇宙の広がりの奥深さは遥かに実感を超える。ロマンをそそる流れ星は、地球を包み込むほんの薄皮の部分の現象である。地球自身がその惑星である太陽は別として、恒星で地球に一番近いものでも、その光が地球に届くのに四年以上もかかる。鷲座の牽牛星が十七光年、琴座の織女星が二十五光年の距離にあり、白鳥座の星デネブは何と千四百光年の彼方にある。中大兄皇子や中臣鎌足が空を見上げていた頃にデネブから発された光を今私たちが見ていることになる。
年惜む面風受け星を享け 島春
星凍てゝ螺鈿の光地に投ぐる かすみ
宇宙の始まりは百三十七億年前のビッグバンであったとされている。最初は光と電子と陽子と中性子等しか無かったのが、やがてそれらの出会いから単純な原子が生まれ、より大きな原子や原子同士が結合した分子が形作られていった。地球が出来たのが四十六億年前で、小さい分子から複雑な分子が生成する化学進化と呼ばれる過程を経て、三十八億年前の最初の生命の誕生へと繋がることになる。自然の法則の支配の下、長期間にわたって偶然と必然が織り成した結果として生物の進化、多様化が進行した。私たち現生人類の祖先が現われたのはたかだか四十万年程前のことであるが、発達した知能が科学技術の驚愕すべき進歩を生み、今後の地球環境、ひいては人類の将来をも支配し得るまでになっている。
宇宙に終わりがあるのか否かは知る由もないが、太陽が燃え尽きる日は必ず来るし、その前に地球は現在の生物の生存が困難な状況になっていることであろう。形あるものは必ず滅びると言われる。それでは、それらの基本素材である原子に寿命はあるのか? 大方の原子は安定であって、巨大なエネルギーが加わって壊されない限り不変で寿命は永遠である。極微量ながら放射性同位体と呼ばれる不安定な原子も存在し、これらは放射線を出して寿命を終え別の安定な原子に生まれ変わる。そのような自然界の放射線が私たちの生命や健康に及ぼす影響は無視できる程に小さい。原子力発電では大量のウラン原子を核変化させて放出されるエネルギーを利用するが、この場合は新たに寿命の長い放射性原子が生成してしまう。この危険な「核のゴミ」の寿命を制御する技術は存在しない。より安全でいつまでも安心して使えるエネルギーへの変換が必須であろう。それに伴う不便や苦労は皆で辛抱したいものである。太陽が存在して地球が回り続ける限り、夜の後には新しい朝が訪れる。
実南天白日と会ふ朝一刻 島春
空に朝来て居て虹を懸けにけり 同
掲載:「春星」平成二十五年(第六十八巻)十二月号(通巻七九五号)