⇒ 小林一茶とキリギリス   ⇒「春星」

⇒「エッセーwith俳句」(1/4)、 「エッセーwith俳句」(2/4)
「エッセーwith俳句」(3/4)、 「エッセーwith俳句」(4/4) 


< エッセー with 俳句 : 第2段(ミニ版)>

 俳句雑誌「春星」に4年3ヶ月にわたって寄稿してきましたエッセーを収録したものが「エッセーwith俳句」です。1年間の中断ののち、平成28年1月より、一作の分量を半分にして寄稿を再開しました。毎月欠かさずというわけではなく、年に3〜4回程度はお休みをいただくことにしました。掲載順に、収録していくことにします。

 「切手」(H28.01)  「内と外」(H28.02)  「スカンポ」(H28.04)  「渡し舟」(H28.05)
 「炭素は巡る」(H28.07)  「二酸化炭素」(H28.08) 「鏡の中」(H28.10)
 「ビタミンC」(H28.11)  「餅肌」(H29.01)  「春は名のみの」(H29.03)



切 手

川井正雄   

 電子的な情報交換の普及で、葉書や切手の影が薄い。

         旧交に新交もあり年賀状

お付き合いは年に一回の賀状の交換だけという相手も結構多いが、それはそれで年賀葉書の存在価値ではあろう。当たり番号のお年玉葉書で十二支の絵の年賀切手シートを入手するのも楽しい。とは言っても、切手を貼る機会は少なく、使わずじまいになることが多い。

 子供時代、切手の収集が流行っていて乏しいお小遣いの中から古い記念切手や国立公園の切手を購入した。かつての私の同僚は本格的な郵趣家で、幅広い分野での造詣の深さに感心することが多々あったが、その知恵の源に切手がある。歴史、科学、芸術、産業、スポーツ等々、切手の関わる領域はあらゆる分野に広がる。「Something about everything とともにeverything about something を知ることを目指せ」は英国の生物学者ハックスレイの名言であるが、切手に知悉すれば遍く諸分野に語るべき知識を持つことが出来る。切手は教養の宝庫であり、趣味の王者とも言われてきた所以である。

 種々の趣味が人生に彩りを添え、各様に有益である。しかし、実用的な価値もなく余人には面白さも理解し難いようなのが本物の趣味で、稀にその思いを共有する仲間に遭遇する喜びこそ実は趣味の醍醐味かも知れない。

掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)一月号(通巻八百二十号)

 

内 と 外

川井正雄   

         豆撒の聲こもらせて大戸閉づ   かすみ

 福は内に保ちつつ禍いをなす鬼は外へ排除するのが望ましいのは当然である。家族、集落、市町村、国家などはもとより、趣味の会や運動競技のチームなど結束の強さは様々でも、ともかく先ずは内側が大事である。

 生命の定義の一つが外界との境界の存在で、生物では内と外とがはっきりしている。私たちの場合、身体の内側に侵入した異物は様々な免疫系の働きで排除される。免疫系の異常により自己と非自己の的確な判別が出来ず自身の身体部分が「鬼は内」と攻撃の対象となってしまうのが関節リウマチなどの自己免疫疾患である。

 ご馳走がお腹に一杯の満腹でもそれは未だ「お外」である。口から肛門に至る消化器系は真の体内ではない。ビフテキを食べても牛の蛋白質がそのまま私たちの筋肉となるわけではない。万一、牛肉が直接体内に紛れ込めば、免疫系は異物対策に大騒ぎの異常事態に陥るであろう。摂取した蛋白質は胃腸で消化され、アミノ酸にまで分解されてから腸壁を通って内側に入る。吸収されたアミノ酸は私たち自身の蛋白質を作る原料として用いられて身体の一部となる。しかし、栄養のある物を食べるだけでは丈夫な筋肉は得られない。食事が有効に血となり肉となるには筋トレなどの努力も必要である。

掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)二月号(通巻八百二十一号) 

 

ス カ ン ポ

川井正雄   

 土筆摘みも蕨摘みも楽しいがすぐには食せない。土手のスカンポをポキッと折り、皮を剥いて口にすると酸味が心地よい。尤も酸っぱさの元である酸味成分には有毒な蓚酸が含まれており食べ過ぎには要注意である。

         すかんぽに塩化ナトリウムを持参  島春

 早春の自然観察会であったが、仲間同士でスカンポとはイタドリ(虎杖)のこと、いや、スイバ(酸葉)なりと意見が分かれた。どちらも酸っぱいし、折る時の感じも似ている。私はイタドリ派であったが、夫婦で見解が異なるケースもあった。帰宅後に検討してスカンポが指す植物は地方によって異なるらしいとの結論に達した。自分が育った地域での呼び名が全国的に通ると思い込んでいる植物図鑑の著者も多いようである。

 土手のすかんぽ…で始まる北原白秋作詞の「すかんぽの咲くころ」は…夏が来た来たドレミファソで終わる。イタドリは夏に白い花を咲かせるが、スイバの方は赤い小花で春である。私がスカンポすなわちイタドリで頭に浮かぶのは早春の土手にすくすく伸びる姿であるが、植物図鑑でイタドリをひくと雌雄異株で雄花や雌花の白い花穂をつけた図版が目に入って戸惑う。虎杖は春の季語、虎杖の花は夏の季語である。同じ言葉でも、人により思い浮かべるものがさまざまに異なる。 

掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)四月号(通巻八百二十三号)

    ⇒「スカンポ論争」   

 


渡 し 舟

                   川 井 正 雄   

 天王山の中腹から見下ろすと桂川、宇治川、木津川が流れ、向こうは石清水八幡宮の男山である。かつては麓の山崎と対岸側の橋本を渡し舟が結んでいた。三川合流と称されるが、すでに宇治川と木津川は一緒になっていて中州のような草原が桂川を分けている。渡し舟を乗り継いで淀川を渡るので、淀二タ渡しと呼ばれていた。

         風薫る淀二タ渡し指呼の中   かすみ

その渡しには子供の頃に何度か乗ったが、最後は昭和三十七年、大学二年生の春であった。友人と二人、橋本の船着き場で待っていると通りかかった人に、黙っていても駄目だよと教えられた。川に向かって大声で呼ぶと船頭が現われ、舟を漕ぎ出してやってきた。童謡では、村の渡しの船頭さんは六十歳であるが、その船頭も高齢であった。その渡し舟の運行はその年が最後で、昔は二十箇所程あった淀川の渡しも架橋の充実で昭和四十五年にはすべて消えた。上流から十三番目の船着き場があったことを示す十三の地名が大阪市淀川区に残っている。

 水の都大阪には今も八航路を十五隻の渡船が運行、すべて動力船で、艪をしならせて漕ぐ船頭の姿は無い。無料の市営に住民サービスの充実を感じるが、新たに橋を作るより安上がりなだけというクールな見解もある。

(補記)十三の由来は条理制の十三条辺との説もある。

  掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)五月号(通巻八百二十四号)



炭素は巡る

                   川 井 正 雄  

 新発見元素ニホニウムの話題は我が国の快挙で目出度いが、発見という語はやや不適当で、最近「発見」される新元素はすべて自然界には存在しない。ニホニウムも理化学研究所の加速器で創り出されたものであり、この原子は不安定で五百分の一秒で壊れてしまう。

 酸素、窒素、水素と共に炭素はありふれた安定な元素の一つで、最も安定な炭素化合物が二酸化炭素である。

         大緑陰炭酸ガスを覚えをり     島春

 奥山の巨木から道端の草に至るまで、植物の体の炭素成分はすべて大気中の炭酸ガスすなわち二酸化炭素に由来する。草木は二酸化炭素と水分子を原料にして光合成により糖分を作り上げ自らの体へと組み込んでいる。植物は、動物に食べられたり、家具や衣料になったり、直接燃料として使われたりと様々な運命をたどる。植物体に取り込まれた炭素原子もいつの日か二酸化炭素に戻り、またいずれ光合成に使われる時も来るであろう。

 実は、自然界の炭素原子の中に不安定なものがごく僅かだけ混じっている。壊れて安定な窒素原子になるが、その時にβ線を発する。この放射性原子の数が半分に減ってしまうには数千年を要する。これを利用して古い遺物の年代推定が可能で、例えば放射性炭素原子が半分であれば数千年前の光合成の産物ということである。

掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)七月号(通巻八百二十六号)




二酸化炭素 

                   川 井 正 雄 

 飛行機の窓から眺めると豊かな森林の広がりが見渡される。我が国はまだまだ緑が多いとほっとする。樹木は地球温暖化ガスの二酸化炭素が変身して蓄積された存在である。森林はまさに二酸化炭素の巨大な倉庫であり、その減少は相当分の地球温暖化ガスの増加につながる。

         満月の森の暗さにこころ置く    島春

 夜間に光合成はなく樹々は静かに呼吸を続けている。生物は有機分子の酸化によって得られるエネルギーを利用して生きており、光合成とは逆に酸素を消費して二酸化炭素を放出する。日が射し込むと樹々は大量の二酸化炭素を吸収して成長する。しかし、寿命が尽きた木は倒れ、白蟻や茸類や微生物により分解されて形を失う。蓄積されていた炭素成分は最終的には二酸化炭素として大気中に戻る。人手の加わらない自然林では、死後も含めた木の一生で二酸化炭素の収支はほぼゼロである。

 化石燃料に頼らないエネルギー源として太陽光発電が脚光を浴びているが、かつての薪や炭は太陽エネルギー利用そのものであった。光電池ならぬ葉緑体での生産物の燃焼では二酸化炭素の収支はゼロとなる。空地にソーラーパネルではなく緑色植物を生育させて石油類に代わる燃料の供給源などに利用は出来ないものか、薪炭利用の現代版として採算のとれる技術の進歩を期待したい。

掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)八月号(通巻八百二十七号)

追記 】 最後を「・・・採算のとれる技術の進歩を期待したい。」と結んだが、実際は、葉緑体における光の変換効率は、光電池と比較してずっと低い。緑色植物は直接に二酸化炭素を吸収してくれるが、化石燃料の使用を抑えるエネルギー問題として捉えれば、太陽光発電がはるかに有利である。ただし、放置しても勝手に生えて繁る印象の強い草木に対して、太陽光パネルの設置のコストは非常に高い。緑の存在がもたらす環境改善、景観美、心の安らぎなども含め種々の効用は計り知れないほど大きい。

 


鏡の中

                   川 井 正 雄 

 大抵の男性にとって手鏡は必需品でもなく、姿見に映る自分を眺める習慣などもないので、鏡に長時間向かうのは床屋に居るときくらいのものである。

         散髪の鏡右胸赤い羽根     島春

 赤十字の募金の証が左胸にあるが、鏡の中の人物は右胸に着けている。鏡が左右を逆転するのは当然のこととして別に不思議とも思われていない。今ペンを右手に持つ私が北を向いて鏡に面しているとする。ペンは東側で空の手が西側にあるのは鏡の中でも同じである。私の顔が北に後ろ髪は南にあるが、鏡の人物では後頭部が北で顔は南向きである。実物と鏡像で左右は変わらず、鏡の面を境にして前後関係が逆転していることになる。前後が入れ替わった人物では、ペンを持っている手は左手に相当する。左右の反転と捉える方が受け入れやすいが事の本質は鏡の面に対しての前後の反転である。

 小難しい議論はさておいても、鏡の中には異次元の世界があるかのような神秘感が漂う。伊勢神宮の八咫鏡を始めとして鏡を神体とする神社は多い。今のように玩具が豊富でなかった子供時代よく鏡で遊んだ。現の世を離れた夢の世界を鏡の中に見ていたのかも知れない。誰しも鏡にまつわる思い出が胸にあるのではなかろうか。

         母のこといちばん知る鏡に秋来 男児

掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)十月号(通巻八百二十九号)

    ⇒「鏡は左右を反転するか?」 

 

ビタミンC

                   川 井 正 雄 

 戦後、国鉄に緑とオレンジのツートンカラーの車両が登場した。蜜柑の葉と果実の色と言われれば成る程と素直にその気になれるが、実は色の由来は俗説らしい。

         発色す雲量七の蜜柑山     島春

 色付いた蜜柑は健康を感じさせる。あまり食べ過ぎるとカロテノイド色素が皮膚に沈着して黄色くなり、柑皮症と呼ばれる。肝臓の病気等による黄疸とは無関係で、皮膚の着色自体は無害であるが、何事も過剰は避けるのが賢明であろう。カロテノイドは緑黄色野菜に含まれる成分でビタミンAの原料となるが、蜜柑の顕著な栄養素はビタミンCである。大航海時代、多くの船員の命を奪った壊血病は、寄港してレモンなどの新鮮な果物や野菜を摂ることによって平癒した。この病気の原因がビタミンCの欠乏とわかったのは二十世紀のことで、血が壊れる病と書くが、駄目になるのは血液ではなく血管の方である。歯茎から血が滲み出るなど体内の各器官で出血が起こる。血管壁の重要な構成成分であるコラーゲンが作れなくなるからである。体内の蛋白質の実に約四分の一がコラーゲンで、その合成にビタミンCが必須の役割を担う。コラーゲンは特に皮膚に多く含まれており、十分量のビタミンCの摂取によって艶やかな肌が得られるという説にはそれなりの合理性がありそうである。

掲載:「春星」平成二十八年(第七十一巻)十一月号(通巻八百三十号)

追記 】健康食品などの広告にはよく体験記が登場する。一般的に体験談の類は客観性に乏しく、あまり信用しない方が賢明ではあるが、以下はビタミンCについての思い出である。昭和52〜54年の2年間を一家でカリフォルニアで過ごしたが、日本では高価であったビタミンCが信じられないくらい安価で入手でき、毎日1グラムの錠剤を口にしていた妻の言うに肌がツルツルになってきたと・・・。聞けば、同様の経験者は他にも居るとのこと。当時はコラーゲンの生合成について無知であったが、今にして思えば成る程と納得がいく。ただし、余分の水溶性ビタミンは蓄積されずに排泄されるとはいえ、ビタミン類の過剰な摂取に問題がないか否かはまた別の話である。




餅 肌 

川 井 正 雄 

 搗き上がった餅に片栗粉をまぶして丸めると柔らかな弾力が心地よい。当然ながら時日を経ると固くなり、水分が抜けた表面はひび割れてきたりもする。

         香炷いて座敷無人や鏡餅    島春
         既にして断層ひらく鏡餅    同

 人も同様で、幼な子の皮膚は瑞々しいが老人の皮膚はかさかさと干からびている。年頃の女性の願いはその艶やかな餅肌の日々の永からんことであろう。

 老若を問わず肌に気を配る女性はコラーゲンを謳った健康食品類の宣伝に惹かれるようである。この蛋白質は、皮膚はもとより血管壁など全身で細胞どうしをつなぐ重要な役割を担っている。有り触れたアミノ酸から作られるが、最後にビタミンCの助けで一細工が加えられて完成品となる。極めて丈夫で広く動物の体の中に存在し、熱湯でほぐしたものがゼラチンである。コラーゲンやその断片を口にしても、そのまま私たちの体に組み入れられることは有り得ない。消化されてアミノ酸にまで分解されたものは蛋白質合成の原料となるが、細工を受けたアミノ酸はもはや合成には使えない。元々コラーゲンには必須アミノ酸が殆ど含まれておらず栄養価は低いので「お肌の曲がり角」の救世主には程遠い。イメージと現実のギャップはこの種の商品では珍しくない。

掲載:「春星」平成二十九年(第七十二巻)一月号(通巻八百三十二号)




春は名のみの 

川 井 正 雄 

 暦の上では節分の翌日の立春からが春であるが「春は名のみの風の寒さや」の日々を経てやがて暖かい春を迎える。枯草色の土手に徐々に緑が増え始め、其処此処に土筆が顔を出しているのを見付けて春を実感する。

         土筆摘み日の香ほかほか持ち帰る かすみ

 童謡「春が来た」の歌詞をたどる迄もなく、花が咲き鳥が鳴いて、生き物は明るく賑やかな季節を謳歌する。草木が茶色に枯れて囀る鳥が姿を消し、新しい生命の誕生のない世界が、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の冒頭の情景である。農薬、殺虫剤が生態系に与える影響を誇張した形で示し、自然破壊への警鐘として世界に衝撃を与えた。環境中に残留するDDTによる野鳥など野生生物への脅威が明らかにされ、この殺虫剤は全面的に禁止に至った。発疹チフス、マラリアを媒介する虱、蚊の駆除に貢献するなど数千万人規模の人命を救ってきたDDTは環境に仇なす嫌われ者に落ちぶれた。しかし、DDTの禁止後に亜熱帯や熱帯地方で罹患者が激増し発展途上国の人々の命を守るため流行地での使用を復活せざるを得なくなった。奇麗ごとの環境重視を脱し功罪を客観的に評価した賢明な選択である。一方、ベトナム戦争で散布された枯れ葉剤は益無く人々と環境を害したのみである。戦争は比類無い環境破壊である。

掲載:「春星」平成二十九年(第七十二巻)三月号(通巻八百三十四号)


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