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< エッセー with 俳句 > その4

「春星」誌への寄稿文集 (4/4) 平成26年1月〜12月




干 支

川井正雄  

 大晦日とは一転、子供の私には元旦は何もかもが新しく感じられた。年末とは違って着るものは晴れ着、食べるのはお雑煮で、まさに新年の訪れであった。周囲の大人たちは日常的に数え年を使っていて、私もお正月を迎えて一つ年をとると思い込んでいた。年齢と直接の関係のない今でも新年という節目には様々な感慨を覚える。壬午生まれの私は十二年前が還暦で、今年は六回目の午年を迎えることになる。午年生まれの人の運勢とか性格とかいった類の話題を今は耳にしないが、丙午に当たる四十八年前は状況が違った。十干の丙も十二支の午も共に火の性で、丙午の女性は「夫を剋す」とされていた。この年の女児誕生を回避した人が多く、出生率は前年の四分の三となった。次の丙午は十二年後であるが、今や胎児の性別判定が可能であり、蒙昧な迷信が医学の進歩と結びつけば恐ろしい。市民の常識、教養は六十年前とは大きく異なっていて、その心配は杞憂ではあろう。

 私の子供の頃、元日は登校日で、田舎で正月を過ごすごく少数の例外を除いて、皆が講堂に集まった。来賓の面白くもない長い挨拶を大人しく拝聴したご褒美が最後に貰う紅白の饅頭であった。「年の始めのためしとて…」や国歌君が代を歌わされたが、「さざれ石のいわおとなりて」は「…岩音鳴りて」と思い込んでいた。ずっと後で歌詞の意味を知ったが、さざれ石、すなわち小さい石が長い年月を経て成長し、苔むした巌となることはあり得ない。しかし、各地で大きな岩塊がさざれ石の名で祀られているのを見る。小石の集団の隙間を石灰質などが埋める形で全体がコンクリート状に固まった岩の類である。解釈次第では細石が巌になることを荒唐無稽とも言い切れず、このような岩の存在に地質学とは無縁の意義付けを行うことは可能である。明治憲法により万世一系として神格化された天皇を讃えて歌われたのも、オリンピック会場で日本選手が金メダルを獲得して流されるのも同じ君が代である。この歌から受ける感慨、歌に篭もる思いが各人各様に異なるのは当然であろう。

 子から亥へと一巡する十二支はそれぞれ時刻や方角を示すが、今では殆ど使われない。そのような中で、午は特殊であって、しっかりと日常語にも定着している。午の刻は概ね午前十一時から午後一時までに相当し、太陽が南中する正午が一日を午前と午後に分けている。

        元日の正午の天に雲を掬ふ     島春
        日は午にして冬薔薇の濃き臙脂   かすみ

 方角では午は南を意味し、北を指す子と併せた子午線は、南北に走る経線のことである。稀に年配の人が北東を丑寅、南西を未申などと呼ぶのを耳にする。その度に方角を十二支で呼ぶのが常であった父が瞼に蘇る。

  • 掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)新年号(通巻七九六号)
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    川井正雄  

     四本足で行動する動物たちの中から勇敢にも後足で立ち上がる猿が現われた。私たちの祖先は進化を続け、自由になった前足で道具を操り、知能を発達させて、今日に至っている。地面を這うのではなく、二つの足でしっかりと大地に立つ姿が私たちの基本形である。

            寒風まともなり三叉路に立つ我に   かすみ
            飢えしごと月光に立ち呼吸せり    島春

     様々な乗り物が発明され、新幹線の時速三百キロを遥かに凌ぐ磁気浮上式のリニヤ新幹線が十三年後の営業運転を目指している。しかし、ロボット工学の目覚ましい進歩にも拘らず、二足歩行型のロボットが走る速さは時速十キロにも達しない。その立ち姿は膝も腰も曲がっていて、お世辞にもスマートとは言い難い。這えば立て立てば歩けの親心というが、重力に抗して四本足から二本足へと移行するのは尋常なことではない。動物としても機械としても、人類の二足歩行は偉業である。

     スフィンクスの「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足」の謎を持ち出すまでもなく、這い這いを経て二つの足で活動する私たちも、やがては足腰が弱ってくる。

            足弱の追ひこされつゝ行く枯野    かすみ
            蛇穴を出て足弱の杖を見る      島春

    動物として不自然で無理な直立姿勢、二足歩行の代償として、私たちは腰痛、ヘルニア、痔などの人類に特有の症状に悩まされている。寄る年波で筋肉が衰え、バランスも悪くなり、杖という三本目の足のお世話になる日がやってくるのも致し方ないことではあろう。

     転ばぬ先の杖というわずか六文字の中に先人の智慧が凝縮されている。身の回りの事故などでも、ちょっとした配慮で避けられたのにと悔やむことは多い。高齢者の怪我が自宅や近所で多いのは、単に行動範囲が狭まっているからである。自宅で転ばないようにするのは至極まっとうな考えで、床面に段差を作らない、壁面に手摺を設けるなどの対策は高齢者への適切な配慮である。

     私よりずっと若い方から聞いた話であるが、バリアフリーの住宅で暮らすようになってから、夫婦とも外出先で躓くことが増えたとのことであった。足に負担をかけない歩き方に慣れてしまうと、必要な時に爪先が十分に上がっていないことがある。後に普通の家に引っ越してからはそんなトラブルは消えたという。

            誰も躓く敷居があって柿の花     島春

    体力や健康の維持にはそれなりの努力が要る。走らないは走れない、歩かないは歩けない、起たないは起てないに通じる。安易な杖の使用が、杖なしに過ごせない暮らしへの早道になってしまうかもしれない。杖への頼り方には、転ばぬ先の杖とは別の配慮も要りそうである。
  • 掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)二月号(通巻七九七号)



    測 る

    川井正雄  

     愛犬との暮らしが三十余年、今のホープは三代目で柴犬である。初代は小学生の娘が友達から貰ってきたが、同僚に何という犬?と尋ねられて「ペロ」と答えて笑われた。柴犬とかスピッツという返事が期待されていたのに正真正銘の雑種だった。毎朝ペロと一緒にお寺の裏山を走って一巡りし、その時間を測っていたことがある。

            起きがけを点描しつつ木の芽山    島春

    爽やかに目覚めて走り出すと気分がいいが、寝起きが悪いと体も重いように感じる。意外なことに、寝覚めがすっきりせず布団の中でぐずぐずしていた時の方がタイムは良い。気分の善し悪しとは別で、身体の方は眠りから醒めて運動の態勢が整うまでに時間が要るのであろう。見えない体内の状況を数値が如実に示していた。

     健康診断では先ず身長や体重を測定する。身長はいつ測定しても結果はほぼ同じだが、体重の方は変動する。飲食や排泄で増減するのは当然として、入浴の後は汗で水分が失われて軽くなっている。体内では常に脂肪や糖分の酸化が進行し、生成物の二酸化炭素と水分を呼気として放出する。したがって僅かずつながらも私たちは一息ごとに軽くなっている。激しい運動では呼吸も荒く、脂肪等の燃焼が盛んである。結局は食べた量とのエネルギー収支が体重を決定するが、変動の大きい一回一回の測定値に一喜一憂するのではなく、長い目でみた体重変化の傾向が重要である。人間ドック等の診断は、種々の測定データの標準値や平均値との比較に基づいている。運動不足や不摂生による太り過ぎは健康を損なうが、腹囲の数値が一つの指標とされている。客観的な基準の重要性は理解できるとしても、各人の個性、個人差を無視して数値一辺倒の判定を下すことには納得がいかない。

     測定値は単位を伴っている。長さの単位メートルは元は北極と赤道の距離の一千万分の一であるが、地球の大きさや形は長年にわたって不変とは言い難い。科学の世界では安定した厳密さが要求され、現在は光の進行距離に基づく極めて信頼度の高い定義が用いられている。

            春眠やパリの時刻を持ち帰り    みえ

    フランスと日本では八時間の時差があるが、時間の経過は地球上のどこでも同じである。一日の長さを二十四時間として時間の単位を定めるのが明快な筈であるが、厳密には地球の自転周期は僅かに変動する。現在ではセシウム原子時計が基準となっているが、この精密無比の時計が定める一日は、地球の自転の平均値に較べて千分の一秒ほど短い。それで、三年に一回程度、閏秒が加えられている。電波時計から腹時計まで、普段の私たちは様々な正確さ、大らかさの時間の中で暮している。

            三月尽砂金さらさら砂時計     島春

  • 掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)三月号(通巻七九八号)
  • < 註 記 > 「メートルは元は北極と赤道の距離の一千万分の一」の部分を、掲載誌「春星」では、誤って「・・・の一万分の一」と書いてしまいました。ご指摘をいただきました松本皎氏に深謝します。(上記の文は訂正済みです。)  
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    育 つ

    川井正雄  

     ひっそりと隠れていた草々の種が芽を出して地に緑が増えていく様はまさに生命の息吹を感じさせる。寒い間は小さかった樹々の芽もその存在を主張し始める。

            連翹の花芽つぶつぶ日を弾く    かすみ
            電車京に入り芽柳に迎へられ    同

     花芽の元が出来るのは蕾が膨らむよりもずっと以前のことである。花芽の形成の引き金となる条件は植物によって異なるが、日照時間、気温の変化などが重要で、タイミングを逸すると花は次年度までお預けである。

            咲き満ちてこぼれぬ花を胸に包む  島春

    栄養不足等のストレスにより花芽形成が促進されることもある。その場合の開花は、我が世の春の謳歌と言うよりは子孫を絶やさないための対策である。花芽と葉芽はそれぞれの使命をもって別々の運命をたどることとなり、都合で葉芽が花芽に変わってくれはしない。それでも植物の場合は色々な点で融通が利いて、茎や葉っぱなど植物の一部を土に刺しておくと、根が生えてきて最終的には一人前の植物にちゃんと育ったりする。

            朝顔の最初はグーの芽がチョキに  島春   

     双葉はチョキで、後から現われる本葉はパーに開く。立派に五本の指が揃って産まれ出た私たちも、母親の胎内で最初は指の無いグーのような形の手であった。新たに指が生えてきたのではなく、指と指の間の細胞が分解されて消えた結果が手の形の完成である。

            おたまじゃくしが擽ったい徒食の手 島春

    お玉杓子が蛙となる際に尻尾の細胞が分解されて体内に撤収されるのも同じメカニズムである。拡張、肥大ばかりを目指していくのが成長の姿とは限らない。

            蜥蜴去り墓所に古い風が来る    島春

     蜥蜴の尻尾の例はよく知られているとしても、植物とは異なり高等な動物では再生が困難なのが普通である。個体の始まりは一個の細胞、受精卵であるが、細胞分裂を繰り返して育っていく。初めは球形であるが窪みが生じ、消化管の元となる原腸となる。さらに発達が進んで、それぞれ神経、肝臓、皮膚などの元となる細胞が現われ、生れ出るときの形に近づいていく。皮膚になると運命付けられて分化した細胞が神経や肝臓になることはない。当初の細胞は体の如何なる部分にもなれる全能性を持っていたが、細胞分裂を重ねて分化が進み、その運命が徐々に狭まる。受精卵からの全遺伝情報を保持し続けてはいるが、実際に利用され得る部分は発達とともに限られていく。そのような生物学の常識を覆し、分化した細胞をタイムマシンの如く全能性を持った細胞へと蘇らせる技術が開発されている。病んだり傷ついたりした組織を修復する再生医療への応用が期待されている。
  • 掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)四月号(通巻七九九号)



    川井正雄 

     チュンチュンの雀、カァカァの鴉に較べ、燕は「土食て虫食て口渋い」などの聞きなしもあるように込み入った鳴き方をする。背中から尾の先端まで艶のある黒色は文字通り礼装の燕尾服を連想させる。はるばると南の国からの渡り鳥で、白いお腹を見せて颯爽と飛ぶ。

            巣燕を見つゝ心の和み来る     かすみ
            念願の古家改造燕来る       同

     四十余年前、その母屋の改造の年に私は故郷を後にした。定年で帰郷した時、両親はすでに他界していて住む人の無い家は荒れ果てていた。古民家専門の業者によって築後百数十年の建物は解体されたが、庄屋だった昔を偲ばせる閂や潜り戸を備えた門構えは残した。

            大戸開けて吾子待つ門に牡丹咲く  かすみ
            婚の旅へ開く大門五月晴      同

    母の句に何度も詠まれてきたこの門を、私達の帰郷後、燕が再び訪れ始めた。他の野鳥とは著しく異なって、燕は人の棲むすぐ傍に巣を作り、無人の家は選ばれない。田畑の害虫を食べる益鳥として大切に保護されてきた結果、鴉などの外敵から身を守るため軒先で子育てをするようになった。人と燕との一種の共生関係である。

            燕既に日常茶飯事家解体      島春

    燕の巣は泥と麦藁などで出来ている。鳴き声の聞きなしでは虫も土も食べる燕であるが、土は食材ではなく建材である。泥で捏ねた麦藁などを巣作りのために嘴に咥えて運んでいるのを見ることもある。巣は産卵、育児の場であって雛が巣立つと役目を終わり、空き家となる。

     多くの動物にとって巣は夜寝る処、すなわち塒であるが、鳥類の場合は大抵、繁殖期を終えると巣を離れ、塒は木の枝や草原などに移る。燕は河原や湿原に集まって夜を過ごすことが多く、多摩川や淀川、宇治川周辺の葭原が数万羽もの燕の集団塒となることが知られている。夕暮れ時に、天を覆うかのように数多の燕が飛来して塒入りしていく様は壮観である。人と自然の共存の象徴とも言うべきこの野鳥も昨今は少なくなってきた。餌となる昆虫の減少、住宅構造や建材の変化による営巣場所の不足に加えて、塒となる葭原の衰退も影響しているのであろう。河川改修等による環境変化が葭の生育を損なうのとは別に、私たちの「葭離れ」も葭原の危機の一因である。屋根葺きや簾の材料を供給する葭原は定期的な刈取り作業によって維持されていたが、刈る人も無く放置されて荒廃の一途をたどっている。葭原の盛衰は訪れる燕だけではなく、先ずそこに棲む種々の生き物たちにとっての死活問題であろう。人々の生活様式の変化は、周囲の自然に様々な形で影響を及ぼす。雅楽の篳篥の吹き口に使用される良質の葭も得難くなっているという。

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)五月号(通巻八〇〇号)

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    頭と心

    川井正雄 

     希望に胸を躍らせたり、芳情に胸を熱くしたり、何故か胸騒ぎがしたり、悲嘆に胸が塞がる思いをするなど、胸の辺りに感情の居場所があるように感じられる。今でも青春の日の思い出に胸がキュンとなることがある。

            滴りて心も濡るゝ杣の道      かすみ
            働いてゐる頭脳に窓の虹太し    島春

    考え事は頭でするが心情の宿りが胸にあるとの錯覚は、感情の昂りや揺らぎが心臓の鼓動などに表れるからであろう。心臓は血液を循環させるポンプに過ぎず、心臓移植や人工心臓で人格が変わることはない。心の字はついているが心は心臓にはない。心臓は首より上からの指令で動いていて、心拍は自律神経、ホルモンに制御されている。一方、精神活動の実態は、脳を構成する約百四十億とも一千億以上とも言われる神経細胞の複雑なネットワーク内での絶え間ない情報のやりとりである。

     すべては脳細胞の働きではあるが、いわゆる頭と心は別物で、理詰めで説得されて頭では肯定しても心が納得しなかったりする。その逆に、理に合わないと思いながら心情的には受け入れてしまうことも結構多い。

     無神論者の私であるが、古刹や神社の静謐な境内で瞑目すれば神秘的な力で心身が浄められる思いがする。

            楠若葉神ぞ御座すと盛り上る    島春

    交通安全、安産、合格祈願などのお守りやお祓いの類が直接に実質的な効果を発揮することはあり得ないが、各人の心の安らぎへの寄与は十分に認められよう。

     鳥インフルエンザが報じられると、流行地の周辺の鶏肉や卵が消費者から敬遠される。鶏や卵の移動の禁止は流行の拡大を抑えるためであって、人への食事からの感染はない。安全性の説明にも拘らず風評被害はなかなか収まらない。かつて狂牛病への怖れから焼き肉屋の客が激減した。冷静に判断すれば発病の確率は交通事故に遭うより遥かに何桁も低く、また何年も先のことである。しかし、頽れる病牛の映像をテレビで何度も見せられたのが心に焼き付いている。恐怖感は簡単に理性を麻痺させる。失政への国民の批判を躱すために他国からの侵略の恐怖を持ち出すのは無能な政府の常套手段である。

            手の指だけ濡らして蜆十は得つ   島春

     蜆に多く含まれるというアミノ酸の宣伝を一流紙の全面広告で見かける。知的な風貌の文化人の体験談は単に主観的な感想に過ぎないにも拘らず、健康への効能を期待する人は多そうである。普通の食材中にはあまり含まれないとの記述は正しいが、体内ではありふれた別のアミノ酸を原料にして作られており欠乏症に陥る心配はない。この種の広告は、明確な効果のデータは無くとも、頭ではなく心に訴えるよう周到に作られている。

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)六月号(通巻八〇一号)

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    蜘蛛の糸

    川井正雄 

      姿形も舞い飛ぶ様も優雅な蝶は、虫の仲間の中でも好感度が極めて高い。古くより家紋にも用いられ、小学唱歌に歌われ、切手のデザインには何度も登場する。

            夏蝶は川波の秀に消えむとす    かすみ
            小手翳すや毛虫の国は虹の国    島春

    青虫や毛虫は嫌われ者であるが、虫愛づる姫の明察の通り蝶類の前身である。農作物を食害する場合は私たちにとって害虫であるが、そういった理屈よりは見た目の印象から成虫を愛でて幼虫を疎んじがちである。蝶は分類の上では蛾の仲間であって、蛾の方は気色悪いと避けられるが両者の間の明確な違いを述べるのは困難である。

            火取蟲力尽き傍へに溜まる     島春

    夏の夜に燈火に集まるのは概ね蝶でなく蛾である。しかし、蛾はすべて地味な色で胴体が太く、夜に現われて鱗粉を撒き散らすわけではない。見た所は蝶にしか見えないような美形の蛾も居る。実は蝶なんですよと知らされて、掌を返したように態度を変えて嫌がる人も居る。

     蜘蛛を気味悪いと言う人は多い。毒蜘蛛は稀であるとしても、小虫を捕まえて体液を吸うイメージは決してよろしくはない。実際に巣が顔に引っかかった時の不快などから毛嫌いされるのも無理からぬことではあろう。

            池巡る柵に露店のやうに蜘蛛    島春

    先入観を捨てて素直に見れば、蜘蛛の巣の幾何学模様は美しい。雨上がりで水滴が陽光に輝いている様は特に素晴らしい。蜘蛛の巣は粘着力のある糸と丈夫な糸を組み合わせて作られている。蜘蛛が命綱としてぶら下がるのは巣の素材とはまた別種の糸である。芥川龍之介の短篇でお釈迦様が地獄の罪人を救うべく垂らした一筋の糸はこの種のものということになろう。この細いが強力な命綱を一万本縒り合わせてバイオリンの弦が作られ、その柔らかく深い音色を一流の演奏家は絶賛した。この突飛な偉業を成し遂げた生体高分子繊維の研究者は、奥深い響きの秘密が多くの倍音の重なりにあることを音波の解析によって明らかにした。この大学教授の定年退職の記念品として一匹の女郎蜘蛛が大きく描かれた扇子を戴いた。この学者の目には、研究の協力者である蜘蛛たちが美しい存在として映っていたことであろう。

     夜中に屋内を歩き回る大型の蜘蛛が居る。巣を張らず蜚蠊などを追跡、捕食する脚高蜘蛛である。見掛けは不気味でも人への攻撃性はなく、衛生害虫を退治してくれる。その食性から台所で不潔な振る舞いをすることもない。間違いなく益虫であるにも拘らず、単にその外観から不快害虫の範疇にも分類されている。見た目が先生の気に入らないからと、奉仕活動に励む品行方正な児童に悪い評点が付けられてしまうかの如き不条理である。

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)七月号(通巻八〇二号)

    川井正雄 

     富士の姿が車窓から見えると得をした気分になるが、逆に最初から海側の座席しか空いてなかったらがっかりである。富士山が目出度く世界遺産に登録された。

            あの富士の裾野のここの夏野なる   島春

    秀峰を背にした松原の光景は格別で、ユネスコの文化遺産には三保の松原が含まれている。松原遠く消ゆるところ白帆の影は…と海岸の松原は私達の原風景であり、今も美しい眺めは全国各地に散在する。

     先の東日本大震災では大津波が三陸海岸に未曾有の惨害をもたらした。白砂青松百選の一つ陸前高田市の松林も例外ではない。津波で倒され流された松の木を京都五山の送り火の薪として用いて震災で亡くなった人々の霊を供養しようという企画があった。しかし、犠牲者の名前や被災者の復興への願いが書き込まれた松は、京の夜空に浮かぶ大文字の一部となることなく被災地へ送り返される。原発事故による松材の放射能汚染がその理由であるが、検出された放射線量は極微であった。例えば、溺れている人へ差し伸べた手が濡れて風邪をひく懸念が救助を躊躇する言い訳にはなり難いが、京都市民への被災松の放射線の影響は更に可能性が低い。放射線への無条件の恐怖や神聖な伝統行事に侵入する穢れと見ての反発が被災松を拒絶したのであろう。恐怖感も宗教的感情も制御は困難で、軽々にその理非を断じるのは賢明ではない。しかし、無益な風評被害を拡大させ、被災地の人々の感情を傷つけたことは確かである。

            白砂青松浮輪の色が縫うてゆく    島春

     白い砂浜を見慣れた目には湘南海岸の黒っぽい浜は薄汚く見えてしまうが、富士山の噴火で噴出された黒い鉱物の粒子が多く含まれているからである。海水浴客で賑わう海の水が奇麗か否かは、砂の色の印象とはまったく別問題である。水質の判定基準には、水表面の油膜の有無や透明度といった見た目に関わるもの以外に化学的測定や大腸菌群を調べる生物学的検査が含まれる。

     大腸菌と言えば良からぬイメージを抱かれがちである。単にその多寡が衛生環境を反映するに過ぎず、大抵の大腸菌は無害であり、私達の腸内でも大人しく平和に暮らしている。稀に害をなす仲間も居て、O157の名札をつけた悪役は特に有名である。一方で改良型の仲間が工場で抗生物質やインスリンなどの有用物質の生産に励んでいる。遺伝子配列の全情報が最初に明らかにされたのが大腸菌であって、最もクリーンな生き物であるとも言えよう。視点次第で受ける印象は大きく変わる。

            文科の姉理科の妹水中花       正氣

     夏休みで帰省した姉妹が仲良く眺める金魚鉢の印象にもそれぞれに異なった趣きがあったことであろう。

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)八月号(通巻八〇三号)



    七 草

    川井正雄 

            観音の供華に秋七草数へ      島春

     秋のものと区別するため正月明けにお粥に入れる野菜や野草の方は七種とも書かれる。秋の七草は野に咲く花を数えて詠った山上憶良の万葉歌に由来し、食用ではなく目で愛でる。千三百年も経てば山野の植生も遷移して当然であるが、殊に戦後の高度成長による土地開発が、昔から馴染んできた生物の急激な減少をもたらした。

            撫子の群落ありて里近し      かすみ

    半世紀ちょっと前の句で大阪郊外の情景である。今や可憐なこれらの花の群生を目にすることは稀で、埼玉県や沖縄県では撫子が絶滅危惧種に指定されている。

            女郎花風の便りに小首して     島春
            女郎花たくさん束ね豊満に     同

     後の句は最近のものなので、豊富に生えているところはあるようである。しかし、花屋の店先で見るからには、自生の花を得るのはさほど容易ではないのであろう。

            化粧水桔梗も一重まぶたして    島春

     桔梗も山野から姿を消しつつあって、栽培されているものを目にすることの方が多い。また藤袴も環境省のレッドデータブックでは準絶滅危惧種に指定されている。

     環境の変化にさらされて七草のすべてが危機に瀕しているわけではない。萩は全国の山野に普通に見られ、また庭園などの植栽としても広く用いられている。

            寺までや垂れたる萩を掬ひつつ   島春
            萩散らす風胸中を吹き抜くる    かすみ

     中秋の名月に興を添える芒も丈夫な植物で、空地でよく見るとともに観光名所としての芒原が全国にある。

            穂薄にバス大揺れす国境      かすみ
            千両箱開けたる入り日芒原     島春

    草原を放置すれば可憐な草花は姿を消し、芒などの背の高い多年草が優性となる。本来、我が国は森林国であって、さらに芒原を放置すれば赤松などが生え始め、やがては本格的な森林となる運命にある。観光資源としての芒原の維持には草刈や火入れなどを必要としている。

            葛花に甘へられつつ山畑へ     島春

     グレープ風味の清涼飲料を思わせる花香ではあるが、葛の繁茂する様は暑苦しい。七草中で最も隆盛を誇っているようである。かつて気象庁の無人観測施設で記録された最高気温が後に訂正された。つる草が巻き付いた装置の異常データとのことで、多分つる草は葛であろう。

     植物は時代の環境を反映し、開発と放置という両極端の人為が共に種の存続を脅かす。さらに近年は外来生物の侵入の影響も看過できない。地球規模で見れば我が国からの侵略も当然あり、芒も葛も北米の嫌われ者で、特に葛は世界の侵略的外来生物百種に名を連ねている。

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)九月号(通巻八〇四号)

    菊人形

    川井正雄 

     かつて大抵お昼は大学の食堂で研究室の学生たちとの会話を楽しみながら食べていた。同じ日本人ながら彼等とは語彙に大きなギャップがあることを知らされた。私は新しい若者言葉を覚えることが出来たが、皆が山男という言葉を知らなくてヒマラヤの雪男の親類ですか?という反応に驚いた。秋の風物詩であった菊人形が彼等の語彙には無いことに時代の流れを感じた。

            菊人形見流してあつあつのうどん   島春

     今と違ってイベント類が豊富ではなかった子供の頃、菊人形見物は貴重な楽しみであった。等身大の人形が菊の衣装をまとっているに過ぎないと言ってしまえばそれまでであるが、周囲の情景と相俟って異次元の世界に足を踏み入れたかの如き感慨を覚えたものである。

            菊人形菊に影曵くしづけさよ     かすみ

     単なる娯楽の域を超えて総合芸術と位置づけられる菊人形も、多彩な現代のレジャーの中でその長い伝統の維持は容易ではない。人形を作る人形師、人形に菊の衣を着せる菊師をはじめ多くの人々が関わっているが、高齢化と後継者の不足は如何ともし難いという。

            着せ替への菊師黒衣に似たりけり   かすみ

     菊師が扱うのは専用の人形菊で、人形の着る衣装の形になるように曲げても折れないように品種改良されている。菊人形を存続させるには、人材だけではなく植物の方も絶えないように守り育てなければならない。

     人形菊のしなやかさはさておいて、身体の柔らかい人とそうでない人とが居る。ボタンやホックが背中にある服は女性用に限られているが、これは一般に女性が男性よりも身体が柔軟であることを示すとともに、そのような服装の習慣により女の人の柔らかさが保たれているという面もある。普段から関節をしっかり動かしていないと可動域も狭まってくる。身体は使わなければ知らぬ間にどんどん退化する。ぴんと背筋を伸ばす姿勢を忘れていると背中側の筋肉が弱って前屈みの癖が定着する。

     高齢者の身体能力チェックの一つに立ったまま靴下が履けるか否かというのがあって、やってみて満足に出来ない自分に愕然とした。片足で安定して全身の体重を支えるためのバランスと筋肉の力の不足である。いつの間にか億劫になって腰を下ろして履くのが習慣化していて、そのことにまったく気付いていなかった。

     交通機関の発達など世の中の進歩で私たちは随分と楽ができるようになった。駅や建物の中でも階段を歩かずに階上や階下への移動が可能である。畳から椅子式に変わり生活が洋式となって腰への負担が軽減された。しかし、日本人の足腰は暮らしの近代化によって弱ってしまった。易きに流れることの代償は小さくはない。

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)十月号(通巻八〇五号)

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    猪鹿蝶

    川井正雄 

     しし垣と呼ばれる石組みが各地に残っている。城跡の風情であるが、漢字では猪垣あるいは鹿垣と書かれ、農作物を獣の食害から守るためのものであった。昔から猪は秋になると山を下りてきて里人を困らせていた。国土の近代化とともに自然の生き物が減少してきたが、逆に最近になって殖え過ぎた猪や鹿による被害が深刻さを増している。里山に近い田畑で周囲が柵で囲まれたり電線が張り巡らされていたりするのをよく目にするが、食物を求めて侵入する動物たちへの防護策である。

     野山の種々の動物たちが開発で住処を奪われ、私たちの視界から姿を消していく中で、猪や鹿の進出が目立ってきているのは、彼等に天敵が居ないからであろう。二十世紀初めに日本から狼が姿を消した。人畜に危害を与える害獣の駆逐は、近視眼的には喜ばしくとも長い目、広い目で見れば決して望ましいこととは言えない。肉食獣の滅亡は、草食動物の増殖を促して草木に被害を及ぼし、森林の衰退などの生態系への負の連鎖の引き金となる。自然界を安定的に支配していた秩序体系の綻びは、様々な形で私たちの生活に影響を及ぼすことになる。

            射ち猪を負ひ下ろす道墓地抜ける   島春
            猪撃ちを昔の指や盆栽に       同

     鋭い牙を持ち高い狩猟能力を有する狼に代わり得る猪や鹿の天敵は、鉄砲を持った猟師たちであった。神獣として保護されている奈良の鹿は別として、動物たちは人を怖がり、人影のある地域を避けて暮らすのが常であった。しかし、昨今は、年をとって猟を引退しても、代わりに猟銃を持つ後継ぎはなかなか得られず、猟師の数の減少に歯止めがかからない。その結果、猪や鹿にとって人間は最早恐るべき存在とはみなされず、食糧が山野に不足すると農耕地を荒らしに出没するに至っている。

     京都の西の里山でも鹿が山を荒廃させ、岐阜蝶の食草の寒葵類も被害を受けている。自然保護の団体が希少種の蝶を守るために、防獣ネットで囲って貴重な食草の保護を試みた。数年を経過するとネットの内側は大量に繁茂した植物に覆われて、却って寒葵が危機に瀕するという結果となってしまった。ネットは外し、何とか鹿の個体数を制御して鹿と共存していくことが目標となっているという。生き物を人間の敵と味方に分類し、勧善懲悪で敵を退治すれば世の中が良くなるといった単純な図式が成り立つ筈はなく、自然ははるかに奥が深い。

     猪鹿蝶は花札の役で、萩に猪、紅葉に鹿、牡丹に蝶の三枚の絵札が揃って成立するが、突飛な組み合わせではある。本稿では、牡丹ならぬ寒葵に岐阜蝶を登場させて何とか表題の三つ揃いを整えることができた。

            視野展け行く秋蝶の翔ちてより    かすみ

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)十一月号(通巻八〇六号)

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          命を繋ぐ

    川井正雄 

     大抵の物事には初めと終わりがある。師走ともなれば一年の終わりも近づいてきたわけで、矢張り気忙しい。

            年暮るゝ人は運命に操られ      かすみ
            帰省子の庭掃きくれて年果つる    同

    不都合は忘れ去る忘年会なる都合のよい行事もあり、年の果てが新しい年の始まりを繰返して齢を重ねてきた。

     生物の体内では絶えず新陳代謝が進行し細胞の構成分子は常に新しいものと交換されている。臓器を構成する個々の細胞が損傷、壊死しても、新しい細胞が補われて臓器としての機能は維持される。修復、補充が不完全で不具合が蓄積されていくのが老化であり、やがては死が訪れる。年を経た古い部品の維持管理が大変とか、十分に長持ちするものは作れないといった技術的な理由よりは、生殖によって次世代に生命を繋いだ方が望ましいというのが生物の本質であろう。生物の死は終わりではなく、DNAは新たな生命に受け継がれる。

     一般に生物は自分の子孫を残すことを唯一にして最大の目的として進化を続け、今日に至っている。昆虫などでは、産卵を終えた雌に存在価値はなく、その前に雄の方は交尾が終わればもはや無用という例も珍しくない。高等な動物では卵を守る、子を育てるといった行為が良い子孫を残すために重要となる。最も高等な人類の場合は、他の動物とかなり様相を異にし、とっくに育児の時期を過ぎた成人が親の脛を齧っていたりもする。

     七十歳が古来稀であったのは昔のことで、寿命はどんどん延びているが、それでもいずれは死が訪れる。死には社会死、生活死、生物死の三段階があるという。明確な区切りは難しいとしても、現役の第一線を退きやがて近所付き合いも遠ざかっていくのが社会死であろう。食事や排泄が自分で出来なくなる生活死を経て、真に命が尽きる生物死を迎えるが、生活死と生物死が一緒に訪れるぽっくり死が望まれている。人では、生物としての大仕事を終えてから社会死に至るまでが十分に長い。その期間がある意味では人生において最も充実していて、学術、芸術への貢献も長年の研鑽、経験の蓄積に負うところが多い。子をなす以外にも、次世代に残すものが豊富にあるというのは万物の霊長ならではであろう。

     子孫を残すことだけが人の存在意義ではないとしても、先ずは生物として子孫繁栄は目出度い限りである。

            野遊びの尻を連ねて多子家族    島春

    池の蛙は沢山の卵を産み、お玉杓子にとっては、どれが親か、どれが兄弟かも分かりはしない。私たちは血の繋がりの温もりを感じ幸せを噛み締めることができる。

            末子成人萬年青真珠の実を抱く   かすみ
            孫抱けば体温伝ふ春の宵      同

    掲載:「春星」平成二十六年(第六十九巻)十二月号(通巻八〇七号)

     この「命を繋ぐ」では、母(かすみ)の句を四句紹介した。二句目で帰省して庭を掃いているのは、私より遥かに親孝行であった兄の龍太郎であるが、今春、早々と天国へと旅立ってしまった。三句目は私が成人を迎えた折りの作で、その私は「運命に操られ」つつも、この秋に七十二歳の誕生日を迎えた。

     第五十一作目になる「命を繋ぐ」を最後にして、「春星」誌への寄稿を終えることにした。

     「川井正雄先生には、平成二十二年十月号より今月号までの長期にわたり、俳句に関連して、科学者の立場より興味深いエッセイを連載して頂きました。厚く感謝申し上げます。好評でしたので、又の機会を楽しみに致して居ります。」と、同誌の後記に記されていた。

     貴重な機会を頂いた同誌に心より深謝の意を表する次第である。

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