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⇒ 小林一茶とキリギリス   ⇒「春星」

⇒「エッセー with 俳句 : 第2段(ミニ版)」

< エッセー with 俳句 >

 俳句雑誌「春星」に寄稿したエッセーを収録しました。幼い時期に、ほんの少し俳句を作った経験があるだけで、以後、数十年の間、句作とは縁のない生活を送ってきました。それで、今のところは、ひねり出そうとしても俳句らしいものが、まったく出てきません。したがって私の文に出てくる俳句は、自らの作品ではありません。それでも、平成22年10月より26年12月まで4年3ヶ月にわたり、毎月、俳句雑誌「春星」に寄稿を続けてきました。
 私と俳句との結びつきについては『 私の年賀状』「昭和63年分」とその追記に、掲載誌の「春星」については、同じく「昭和49年分」の追記で述べています。

 振り返ってみると、自然科学者としての立場を崩さず、新しい視点を求めるように努めているところに、自分らしさは出ているかなと思います。ユニークな見方とその表現を心掛ける姿勢は、句作に通じるものがあるのかも知れません。全51作を発表順に並べていますが、一応、次ぎのように、6つのテーマに分けてみました。

自然さまざま

 「自然さまざま」(H24.03) 「雪」(H24.02) 「燕」(H26.05) 「白砂青松」(H26.08)
 「猪鹿蝶」(H26.11) 「寒風」(H25.02) 「葛藤」(H25.05) 「土に還る」(H25.11)

草と木と

 「たんぽぽ」(H25.04) 「桜の花の咲く頃」(H24.04) 「花の香と虫」(H24.05)
 「七草」(H26.09) 「彼岸花」(H25.09) 「奇麗な物は汚れ、汚い物は奇麗に」(H22.11)
 「菊人形」(H26.10) 「草木の名前」(H23.05) 「花粉」(H25.03)

虫たち

 「蝶あれこれ」(H22.10) 「蛍」(H23.06) 「蝉の声」(H23.07) 「蝉捕り」(H23.08)
 「蜘蛛の糸」(H26.07) 「赤とんぼ」(H24.10) 「虫の声」(H25.10) 「匂いの絆」(H24.07)

感じる

 「幸せ」(H24.01) 「危ないものと怖いもの」(H23.04) 「いい匂い」(H24.06)
 「味の世界」(H23.09) 「酸いも甘いも」(H23.11) 「白色考」(H23.12)
 「頭と心」(H26.06) 「水は巡る」(H23.10) 「宿題」(H24.08)

命と暮らし

 「細菌のお墓」(H23.03) 「測る」(H26.03) 「育つ」(H26.04) 「梅雨茸」(H25.06)
 「空気」(H25.07) 「日焼け」(H25.08) 「天高馬肥」(H24.09) 「分ち合う」(H24.11)
 「杖」(H26.02)

時の流れ

 「時の流れ」(H25.01) 「干支」(H26.01) 「兎は遠くなりにけり」(H23.01)
 「生命の境い目」(H23.02) 囲碁と俳句」(H22.12) 「暦」(H24.12)
 「命を繋ぐ」(H26.12) 「始まりと終わり」(H25.12)
  




「春星」誌への寄稿文集 (1/4)平成22年10月〜23年12月


蝶あれこれ

川井正雄   

 色とりどりの花や虫や鳥が野山に春の訪れを告げる。蝶が春の季語であるのは自然ではあろうが、蝶が舞うのは春に限らない。夏や秋の蝶が季節外れということはないが、俳句では夏の蝶、秋の蝶などと修飾語が付く。

         秋蝶の黄は色草に紛れざる    かすみ
         枯草の露より翔ちし蝶黄なり    同

 鮮やかな黄色が目立つ蝶といえば、黄蝶か紋黄蝶であろう。ともに、早春に現われ、秋まで姿を見るが、紋黄蝶はやがて姿を消し、冬を越すのは幼虫である。一方、黄蝶の方は成虫で越冬するので、晩秋までその姿を見る。露置く枯草に憩っていたのは黄蝶であろうが、やがては、凍蝶として静かに春を待つことになる。

         豊かなる自然が蝶を出し入れす  島春

 我が国には色も大きさも様々な二百数十種程の蝶が居る。最大級は揚羽蝶や立羽蝶、最も小さいのは蜆蝶の仲間である。黄蝶や紋黄蝶の幼虫は専ら豆科植物を食べて大きくなる。切手の図案にもなった国蝶の大紫は、幼虫の食事が榎類の葉に限られる。蝶はいずれも超偏食で、それぞれ食草、食樹が決まっているが、ビタミン不足に陥ることはない。必要な成分はすべて自身の体内で作られる。一方、私たちには、自前で用意できないものも多い。必要な栄養素を外注に頼るというか、略奪によって生き続けるという進化の道を選んだわけである。

 蝶は、渦巻き状の口吻を伸ばして花の蜜を吸う。しかし、蝶の味覚、すなわち自らが接する分子の認識には、口ではなく足先が重要な役割を果たす。前肢の先端にセンサーが付いており、葉っぱを叩きながら味見をして、卵を産みつけてよい植物か否かを判断する。自分の好みの食べ物以外を受け入れない狭食性ないしは単食性の幼虫にとって、食草外での孵化は餓死を意味する。子孫の存続をかけて、母蝶は卵を産みつけるべき植物を見極め、いや、味わい極めねばならない。

 昆虫の種数の多さは抜群で、数十万種程度が知られているが、実数はその一桁以上ともいう。昆虫のこの種多様性は、それぞれが自分に適した環境を見つけ出して棲み分けを図った結果である。生物学では、進化は、単に環境に対応した生物種の変化であって、進歩という価値観は伴わない。昆虫の場合は、融通の効かない偏屈な方向への進化が多い。植物は、それぞれに食害を防ぐべく自衛のための分子を体内に用意している。岐阜蝶は寒葵類のみを食べて生きるという道を選んだ。寒葵中の防御成分に対する解毒機構のみを発達させるという省エネ型の進化で生きる術を得たわけである。他の植物を食べるとお腹をこわすか、中毒死してしまう。したがって、食草の寒葵が滅びれば、共に滅びる運命にある。

掲載:「春星」平成二十二年(第六十五巻)十月号(通巻七五七号) 

< 註 記 > 凍蝶(いてちょう:冬の季語)は、凍ったように動かない冬の蝶です。

 生物名はカナ書きが標準ですが、ここでは俳文にふさわしい漢字表記としてみました。シジミチョウは小灰蝶が本来の書き方でしょうが、それでは読みづらいので、読んで字の如しの蜆の字を用いました。漢字で書いてみると、カタカナ表記では失われていたその生物の質感、情感が現われ、名称の由来も自ずと明らかとなるなど、あらためて漢字表記の良さを実感しました。キ(木、黄)、シマ(島、縞)、チョウ(蝶、鳥)、ナミ(並、波)など同音異義語は多く、カナ文字だけでは混乱、誤解が起こりやすいです。カタカナ表記が適当な場でも、必要に応じて、カナ書き表記の欠点を補う意味で、モンキアゲハ(紋黄揚羽)、ウラギンヒョウモン(裏銀豹紋)、クモマツマキチョウ(雲間褄黄蝶)、サカハチチョウ(逆八蝶)などのように、適宜、括弧書きで漢字を付記することを提唱したいと思います。

     (⇒ 生物名表記への私案

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奇麗な物は汚れ、汚い物は奇麗に

川井正雄  

 コンポストに投じた生ごみは一年もすれば肥沃な培養土に変身する。結構な分量の台所ごみを毎日入れ続けても、どんどん目減りしてなかなか一杯にはならず、有り難い限りである。ごみ箱に捨てても、視界から汚いものが消えてくれる点は同じかもしれない。しかし、ガソリンを使ってごみトラックで焼却場に運ばれた家庭ごみは、そこでさらに燃料を消費する。

 堆肥の中にプラスチック製の葉蘭や醤油のミニ容器などが散見されると見苦しい。野菜屑や残飯がまったく消えてしまったかのように見える中で、プラスチック類はやや色褪せた程度で原形を留めている。汚かったものは時間とともに浄化されていくのと対照的に、誤って混入した一見は奇麗だったプラスチック片は、分解を受けずに醜く残る。

 かつては丈夫で長持ちが売りであったプラスチック製品である。しかし今では、生分解性、すなわち微生物等によって分解を受けるものにも価値が認められる。自然界には動植物の産物を分解する種々の小動物やバクテリアが存在する。物質文明の歴史は浅く、工場生産された製品を栄養源とするように進化した種々の微生物の出現には至っていない。

          落葉の底の底の団栗穿つ虫  島春

 一本の木が大量の団栗を降らせる。これらが皆発芽して育てば大変なことになるが、そうはならず、大部分は他の生き物の栄養となる。密かに孔を穿ち、そこに子孫の存続を托する虫はその一例に過ぎない。団栗類の不作は山で暮らす哺乳類の生存にも関わる。私たちの知らない世界での出来事とも言えない。飢えた月の輪熊が人里に出没することともなる。

          地に落ちて木蓮汚れゆく迅さ  かすみ

 美しさを誇った花弁の命もはかない。白木蓮なら、まず褐変が目立ち始めるが、おそらく自らの酸化酵素の働きによるものであろう。いつまでも汚れた花びらのままではない。やがては土壌微生物の栄養源となり、結局は土に還り、新たな美しい生命の一部にもなる。

 肉食であれ草食であれ動物は他の生物を食べて生きている。一方、植物は独立栄養の生物で、太陽光のエネルギーを利用して光合成を行い、直截的には他の生命に依存しない。しかし、動物、植物を含め地球上の生き物はすべて他の生物との関わり合いの中で生きている。これら生物同士の相関がエコロジーすなわち生態学であり、生態系の重要性が広く一般に認識されつつある。

(註)ここではコンポストは大きなバケツを逆さにしたようなプラスチック製品のことである。本来、コンポストは堆肥、培養土などを意味する言葉のようである。

掲載:「春星」平成二十二年(第六十五巻)十一月号(通巻七五八号)

< 註 記 > 10月18日より29日まで、名古屋において生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催されており、先月の「蝶あれこれ」および今月の文では、そのことも意識して書いた。なお、本稿を送稿後、我が国の各地で人里に現われた熊による被害のニュースが次々と報じられ、その点でも時宜を得た内容が提供できたと思っている。

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囲碁と俳句

川井正雄  

 烏鷺戦わすと言われるように、碁盤の上にあるのは、白石と黒石の二種だけである。ルールのシンプルさは、麻雀やトランプのブリッジなどの比ではない。十九路四方の盤を出ない世界であるが、その奥の深さは無限に近く、未だコンピュータの追随を許さない。

 映画でもゲームでも、大概は進歩とともに巨大化、複雑化していく。白黒の無声映画は、今や遥か昔のことで、カラーの画質は向上し、スクリーンは大型化した。立体映像の迫力に驚かされるが、更にどのような新技術の発展が待っているのであろうか。文明の進歩による種々の高度化は、一般に資源の消費の加速を伴う。

 一方、囲碁の場合は、新定石が開発されようが、天才が現われようが、その進歩、広がりは、深みを増す方向に向かう。環境意識の高まりから持続可能が重要なキーワードとなっているが、その理想的とも言える典型例が碁の類ではなかろうか。

 俳句は、拡大を伴わずに深まっていく文化という点で、まさに囲碁と共通する性格を有している。句作を趣味とする人々は十七文字の世界の持つ無限の広がりを実感し、そこに喜びを、そして苦しみをも味わう。

          打破る句の壁厚し年暮るゝ    かすみ

半世紀の句作をまとめた母の六十九歳の処女句集の最後の句である。

 十七文字の持つ魅力、魔力の源は、まさにその制限の存在にもあろう。多少の字余りや字足らずは許されても、表現の自由を求めて、大作、長編へと向かうことはない。世相を映して季語のリストは変化しても、俳句は自体の束縛の中で永遠の命を保ち続けるに違いない。

 昆虫少年だった私は、虫取り網を振り回して随分と殺生を重ねた。成人してからも一時期、ノスタルジアで虫集めをやったことがある。ポケットに捕虫瓶ではなく、句帖を忍ばせている人は平和である。

          地虫出て句の狩人にゲットさる  島春

この狩人は命を奪わない。観察のみで危害を加えないという点では流行りのバードウォッチングなども同様であろう。しかし、観察用の双眼鏡や記録用のカメラ類はどんどん高機能化されていく。句作には句帖があればよく、豪華な句帖が佳句を保証するわけでもない。季語入りの携帯電子辞書類などは便利かも知れないが、装備と成果の相関は決して高くはなかろう。

 句作は、資源を浪費しない。時には厳しく自然と対することもあろうが、自然を、生命を侵さない。

          草虱膝までつけて句が遁げる   島春

虫取りとは異なり、ここで遁げたものは、いずれ香り高く装いを新たにして戻ってきてくれたことであろう。

掲載:「春星」平成二十二年(第六十五巻)十二月号(通巻七五九号)

<追記> 「・・・未だコンピュータの追随を許さない。」と書いたが、その5年余後の平成28年3月に、グーグル社の人工知能「AlphaGo」が世界最強と目される韓国人棋士イ・セドルに4勝1敗で圧勝した。囲碁の世界におけるコンピューターの人間に対する優位が予想をはるかに超える早さで実現した。今後、プロ棋士側のささやかな巻き返しはあり得るかも知れないが、人工知能の進化の速度を考慮すると、コンピューターの優位は動かないであろう。(2016. 05)

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兎は遠くなりにけ

川井正雄  

          最年少へピントを合はせ初写真  島春

 私は一年前に目出度く念願の初孫に恵まれた。最年少の彼女にとって、その一か月は彼女が今まで過ごしてきた時間の一割近くに相当する。一方、最年長の私は古希にはまだ少し間があるが、今の一か月はこれまでの人生の八百分の一にも充たない。年寄りにとっては一年の過ぎるのが早く感じられるのも尤もである。乳児は日に日に成長し、昨日出来なかったことも今日は出来たりする。孫は、私より遥かに充実した日々を送っている。光陰矢の如し、歳月人を待たずというが、時の流れは必ずしも万人に一様ではない。

          烏飛兎走していま対ふ初鏡  島春

 太陽を示す烏は都鄙を問わず見かけるが、月兎ならぬ本物の兎を野に見ることは極めて稀である。私が小学生だった昭和二十年代、大阪近郊の枚方市内では、兎狩りを年中行事としていた学校もまだ残っていたらしい。しかし、私自身は唱歌「ふるさと」の歌詞「兎追いし彼の山」とは無縁の下町育ちであった。

 野生の兎を初めて目にしたのは、関東暮らしの後、名古屋近郊の豊田市へと移り住んでからのことで、昭和も終わりに近かった。犬のお伴で近くのお寺の裏山を歩くと、時折、兎が茶色の耳だけを見せて草原を駈け去っていった。やがてそのあたりも開発、整備されて梅林が見事な公園へと変貌、兎の姿は見ることはなくなった。

 さらに十年以上は後だったか、矢作川の向こう側にまで週末ジョギングの足を伸ばしていた時のことである。「要らないか?」と、たった今捕まえたばかりの兎を差し出されて面喰らった。懸命の反抗の証か、兎を持つ腕からは血が滴っていた。飼うのも、捌いて食べるのも、私の能力を超えるのでお断りし、囚われの兎は私の返事によって山に戻る自由を与えられたようであった。

 矢作川の対岸は、名鉄が走る右岸の側に較べてまだ緑の山野が多く残っているが、それでも兎の棲息地は着実に狭まっていく。

          初蝶や農地減り行く里の道     かすみ
          宅地造成「こゝまでおいで」山笑う  〃

泥鰌やめだか等のありふれた生き物達も、どんどん私達の周囲から姿を消しつつある。開発によって見慣れた自然が失われ行くのを、腹立たしく、許せなく感じる。しかし、つい最近のことか、何世紀も前のことかは別にして、私達それぞれが今住んでいる所も、元は野生生物が棲み暮らしていた地である。勿論、過去には戻れず、単に現状維持を叫んでいて解決できる問題でもない。いかにして自然を大切にしながら自然と対していくか、まさに私たちの知恵が求められている。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)新年号(通巻七六〇号)

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生命の境い目

川井正雄  

 生物と無生物の境界は曖昧であって定かではない。ウイルスは、結晶化する「物体」と見なされていた時期もあった。生物の基礎を細胞に置く古い定義によれば、自前の細胞を有しないウイルスは生物とは見なされない。増殖に他の生物の細胞機能を利用するが、ウイルス自身の遺伝情報を持ち、突然変異もする。いかに小さくとも生き物の仲間に入れるのが素直であろう。

 明らかに生命なき物体の筈の蛋白質も、時に生命体を連想させる挙動をする。過酷な条件にさらされてその蛋白質分子の固有の形が崩れてしまう現象が変性である。最早本来の機能を発揮する事は出来ないし、例外的な状況を除いて元に戻ることはない。蛋白質の変性は生物の死になぞらえることが出来る。

 神経細胞に存在する蛋白質プリオンの変形すなわち異常化がいわゆる狂牛病等の病因である。異常プリオンは、隣に居るプリオンを異常型にしてしまう。命なき「ただの」蛋白質分子が病原体のように感染性を示すのだが、詳細はわかっていない。生命の世界の奥は深い。

 生あるもの、いずれ死を迎えるとしても、その瞬間を特定し難い場合もあろう。生と死の境界も、必ずしも明確ではなく、臓器移植にからむ脳死などは物議を醸す。動いていた心臓が止まってしまう我々の場合に比べ、ひっそりと生きる植物では、その生死ははるかに曖昧である。毎年、全身で春を謳歌した我が家の花桃も、今は私の背丈あたりまで枯れ木の風情である。遥か先端の数枝のみが、時を忘れず往事を偲ばせて生の証を見せる。

          落椿踏む生きものを踏む思ひ   島春
          この部屋の生きもの吾と寒玉子   〃

 やがては芽を出して次世代に生命を繋ぐ実や種とは異なり、花や葉は枝を離れた瞬間から屍体であると見なせなくもない。しかし、瑞々しいこの落椿は依然として生を主張している。卵はいずれ同室のもう一つの生き物の胃袋に収まる。おそらく未受精卵で、待っていても殻を割ってひよこが顔を出すことはない。それでも調理前ならまだ生きているような気がするのも頷ける。

          大賀蓮千古の生命秘めて咲く かすみ

 古代遺跡から発掘された三粒の蓮の実の一つが発芽、開花した。植物学者大賀博士の努力が報われ、二千年以上の時を経て二十世紀半ばに蘇った花である。根分けされたこの蓮は、今や世界各地でピンクの大輪を開いている。この蓮の実は、生命を保ち続けていたからこそ発芽した。しかし、そのような試みがなかったら、単に過去の生命の遺物のままであった。発芽しなかった方の二粒であるが、すでに死んでいたのか、それとも発芽の条件に適さなかっただけなのかは、まさに神のみぞ知る。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)二月号(通巻七六一号)

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細菌のお墓

川井正雄  

 学生時代、短い間だったが、洛東と洛北の境目あたりに下宿していた。かの宮本武蔵決闘の地、一乗寺の下り松は目と鼻の先で、詩仙堂や金福寺も近かった。

          額づきて聲無き聲を聞く余寒   かすみ

前書に金福寺月斗先生墓とある母の句は昭和三十八年のもので、下宿はやめて自宅から通学していた時期にあたる。句集では「子と歩く洛東の春雪清し」と並んでいるので、私の春休みに二人で京都を歩いたときのものであろう。その頃の母は月斗忌に顔を出していたと思うが、その二年後の早春は風邪をこじらせた。

          沈丁に風邪こもりして忌に遠し  かすみ

 下宿から北東に二十分ほど歩くと曼殊院があって、その辺りまでは私の散策範囲であった。曼殊院に菌塚が建立されたのはそのずっと後、昭和五十六年のことである。碑文には「人類生存に大きく貢献し犠牲となれる無数億の菌の霊に対し至心に恭敬して茲に供養の愖を捧ぐるものなり」とある。確かに、いかに目に見えない小さい存在とはいえ、細菌とて命ある生き物の一員である。医学、薬学など広く生物系分野の研究、開発は細菌なしには成り立たない。実験に用いた菌のごく一部は大事に継代培養あるいは冷凍保存されるが、大部分は高温高圧の滅菌器の中で大量殺戮の犠牲者となって果てる。菌塚は、ふだん消毒と称して菌たちを殺している私たちに、生命への新たな視点を与えてくれる。この細菌のお墓には、陀羅尼経の写経とともに、漆塗りの器に入った枯草菌の遺灰が納められているとのことである。

 細菌が自己防衛のために作るペニシリン等の抗生物質をはじめ、私たちは実に様々な物質を微生物に生産させて利用している。例えば、糖尿病治療薬のインスリンは、遺伝子組換えで合成能力を付与された大腸菌や酵母が作ってくれる。一方、昔ながらの微生物の利用が味噌、醤油などの醸造である。中でも、世界各地で太古より人類の歴史とともに歩んで来たのが酒造りである。

          肝胆相照らして酒後の蜆汁    島春
          酔うて出て春夜の雲の高う浮く  同

坦懐の心、至福の酔いをもたらしてくれるのは、酒精という粋な別名を持つ化合物エタノールであり、清酒酵母やビール酵母がアルコール醗酵によって作り出す。

 もともと醗酵は、食品に微生物が繁殖してその成分が変化する現象である。客観的には腐敗と変わる所は無い。私たちにとって有用なら醗酵、有害であれば腐敗と呼ばれ、広義には醗酵も腐敗に含まれる。くさやは、新鮮な魚をくさや汁に漬け込んだ後に乾かし、浸け汁が醗酵してできたもので、その名の通りに強烈な臭気を発し、腐敗とは紙一重である。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)三月号(通巻七六二号)

< 付 記 > 曼殊院の菌塚については、「都市と自然」誌への寄稿「菌塚をご存知ですか?」に写真入りで紹介した。

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危ないものと怖いもの

川井正雄   

 先秋、「しまなみ海道スリーデーマーチ」なるイベントに参加して、今治から尾道までの八十キロを三日間で歩いた。大島から向島まで六つの島と六つの橋を経て、最後は橋を渡らず渡船でゴールの尾道に至るコースである。それぞれの橋は海面からかなり高く、橋が見えてきても、海岸の道から実際に橋に到達するまでにかなり歩かねばならない。その苦労に報いるのが、橋から望む雄大な瀬戸内海の眺めである。二日目は大三島橋と多々羅大橋を通って生口島への二十キロで、時間的に余裕もあり、歩いた後、船で瀬戸田から三原まで渡って、島春先生を訪ねた。

          霞んだる橋の対岸もまた島   島春
          橋渡り島又島の青嵐      同

 全国から何千人もの健脚が集まり、島をつなぐ高い橋の上でも、寂しくも怖くもなかった。実は、かつて歩いた天草五橋の思い出が、私の密かな気掛かりであった。二十年前になるが、長崎での学会参加の後、連絡船で天草諸島に渡り、念願の五橋制覇に踏み出した。諸島と本土を結ぶこれらの橋を通るのは殆どが自動車である。歩道はあるが、自分以外に歩行者は見当たらない。見晴らしもよく、気分は爽快と歩き始めたが、岸を離れて見下ろすと眼下は深い。空中に取り残されたかのような心細さに、もはや景色を楽しんでいる余裕はない。頑丈な手摺があるので万が一にも海へ落ちる危険はないが、怖くて、気がつけば、手摺りから離れた道の中央に近い側を歩いている。内側は、すぐ横を車が走っているので、よろければ命の保障はない危険な側である。頭で考える「危ない」側と心が感じる「怖い」側とが正反対である。このような場面では、理性は空しく、恐怖感に支配されてしまうことを思い知らされた。危ないと怖いを反芻しながら、残りの四橋も無事に渡り終えた。

 危なくて怖い虫の代表格は、毒針を持つ蜂類で、刺されると腫れ上がり、時には命にも関わる。大きさは様々だが、蜂の仲間はいずれも黄色と焦茶色からなる独特の警戒色で相手を遠ざけ、無駄な戦いを避けている。透かし羽という蛾の仲間には、一見して蜂にしか見えないのが色々居る。蜂のそっくりさんは、蛾だけでなく、虻、蝿、髪切虫、亀虫などでも見られる。毒針とは無縁の平和な生き物であるが、蜂の容姿を借りて、外敵から身を守っている。昆虫の擬態といえば、枝や葉等に化けて身を隠すタイプが多いが、このように威嚇的な擬態もある。自然界では、危なくない身を怖がらせるのも、生き残りのための有効な術の一つである。ビルの警備にあたるガードマンが警官を連想させる制服を着るのは一種の擬態と言えなくもない。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)四月号(通巻七六三号)

< 註 記 > 島春先生は、掲載誌「春星」の主宰であるが、大阪歯科大学に入学された頃より存じ上げており、当時、私は小学二年生であった。この辺りの経緯は、私の年賀状(昭和49年)で述べている。      ⇒ 「松本島春のページ」

< 付 記 > 恐怖心の制御が容易でないという天草五橋での経験は、私の年賀状(平成13年)にも書いた。大津波による原子力発電所の事故に伴う風評被害が深刻であるが、恐怖心のなせる業である。合理性のない恐怖心が、多くの人々を、大規模な弱者イジメの構図の加害者の側に立たせている。溺れそうな同胞が居るときに、自分の手が濡れたら困るかもと、手を差し伸べるのを拒否あるいは躊躇するに等しい。しかし、恐怖に駆られる人に、安心を与えることは難しい。

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草木の名前

川井正雄  

 「雑草という草は無い」は昭和天皇の名言として知られる。路傍の「名も無い草」のそれぞれに名前がある。雑草という言葉で一括りにしてしまうと、花壇でも畑でも公園でも、空き地にすぐ蔓延り、退治したつもりでも逞しく蘇るしぶとい存在である。しかし、実際に一種類の草に注目すると、偶々その環境条件が生育に適したからそこに生えているわけで、別の場所に移しても同様な生命力を発揮するとは限らない。園芸店で売られている奇麗な花の栽培種ほど柔でないとしても、それぞれ、それなりに苦労しながら生きている。

          草の名を知りて草むしりの遅々と   島春

 ここでは、もはや目の前の草は雑草ではない。名を持った植物として認めてしまうと退治する心が鈍るのも無理はない。先ごろ「名を知るは愛のはじめなり」という言葉を植物学の大家より教わった。

          寂しさに出でほゝづきの朱を愛す   かすみ

 目立たない草の名前を知るのは難しいが、特徴的な花や実をもつ植物は一見してそれとわかる。独特の赤い提灯は酸漿のもので、他に似た形の実をつける草はない。しかし、花も実も無い状態では、酸漿を見分けることが出来ない人も多かろう。私は野山で自生していてもすぐに見つけられるし、おそらく葉っぱ一枚だけを見てもそれと識別できる。学生時代、酸漿の苦味成分の解明を目差して、莫大な量の葉を刻んだからである。遊びに蚕を育てていた時に桑の木を捜して歩いた経験から、桑の葉もすぐわかる。しかし、他と区別できるように特徴を述べよと言われても困る。桑の葉がすべて蛙のような特徴的な入り組んだ形をしているわけではなく、単純な形のも多い。葉脈、鋸歯、表面の色艶などの特徴の描写も素人の私には難しい。感じが桑だから桑なんだよという答にならない答が真実に近い。美術品、骨董品の真贋を見分ける目を養うには、出来るだけ多くの真作に接するのが一番とのことであるが、素直にうなずける。

 草木の名前を知りたい時、教えてくれる先達が居なければ、やはり図鑑が頼りである。達人でも外観からは識別が困難な場合はあるらしいが、現在では決定的な役割をDNAの解析が担っている。生物の種名のみならず、その変異から地域差や交雑関係が明らかとなる。DNAには、他の種との近縁関係も含めて、進化の歴史に関わる情報が刻み込まれている。

(追記)生物名は片仮名表記が標準で一般にも浸透しているが、俳文には漢字書きが似合う。漢字で書くと、姿かたちが見えてくることもある。今後、他誌への寄稿等で片仮名使用が望ましい場合にも、ホオズキ(酸漿)、クワ(桑)のように括弧書きで漢字を付記したい。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)五月号(通巻七六四号)

<付記1>「名を知るは愛のはじめなり」は自然環境市民大学において講師の植物生態学者 佐藤治雄博士より聞いた。同氏のHP「大阪百樹」の冒頭にも掲げられているこの言葉は、四国の大学の先生から聞かれたとのことであった(「百樹会」についてのページ参照)。後に、田辺聖子のエッセー「名を知る風流」の冒頭に『 花の名や小鳥の名を知りたいというのは、かねてから私の願いであった。/名前を知らなければ、心で呼び掛けることもできない。/「万葉集」開巻冒頭の歌、雄略天皇のかの美しい恋歌、「籠もよ み籠持ち 掘串もよみ掘串持ちこの丘に 菜摘ます児 家聞かな 名告げらさね・・・・」にあるように、名を知ることが愛のはじまりであろう。』と書かれていることを見出した。このエッセーが収められているちくま文庫「性分でんねん」には、初出は1987年12月とある。

<付記2> 生物名の表記については「提案:カタカナ生物名への漢字付記」を参照されたい。 


    

川井正雄  

 季節の移ろいとともに、所を得た虫達がそれぞれに私たちの感興に訴えるが、最も詩情溢れる昆虫は蛍であろう。明滅しつつ闇の中を飛び交う様は、日常を超えた異次元への誘いである。

          闇が待つ甘美なるもの蛍狩    島春

 源氏蛍や平家蛍をはじめ我が国には四十種以上の蛍が居るらしいが、私たちが普通に思い浮かべるのは源氏蛍である。ほぼ一年の蛍の一生のうち、私達の目に触れる成虫の期間はほんの十日間ほどに過ぎない。両親から命を託された卵は、孵化の後、水の中で幼虫時代を過ごす。源氏蛍は専ら川蜷を食べ、不如意な時は代わりに田螺で間に合わすということはない。冬を越すと陸に上がって土繭の中で蛹となり、空に舞う日を待つ。完全変態して羽化した成虫は、水の中を這い回っていた幼虫の姿とは似ても似つかない。水中生活は、結婚相手を求める飛翔への準備の忍従の日々であろうか。成虫が口にするのは水だけという。好物の貝を見つけては食べる生活の方が案外幸せだったかも知れない。やや小振りな平家蛍の生態もほぼ同様であるが、川蜷だけでなく田螺や物洗貝なども食べる。

          わたしにも捕れし蛍を掌に包む  真帆
          肩の蛍つまんで草へ沈めけり   秋津

 包んだ指の間から漏れ透ける蛍の光は妖しい。虫を追いかけて少年時代を過ごしたわけではない女性達にも、光を放ちながらゆっくりと飛ぶ蛍は簡単に捕まる。しかし、蛍に触れるような機会は、今は稀である。餌となる川蜷の棲む清流が開発によって失われていく。

          田園も今年限りの遠蛙      かすみ

 母の句で時は昭和四十四年、大阪平野の端っこあたりである。水田の広がりと小川に代わって新しい団地が誕生し、群舞する蛍も翌年からは姿を消した。

 三十年近く前に名古屋の郊外に移り住んだが、当時は市街地の近くでも帰途に蛍を見た。その辺りも開発の流れを免れることはなく、蛍の住環境に適さなくなって久しい。ところが数年前より矢作川の小さな支流に沢山の蛍の出現を見る。記録的な豪雨で大量の川蜷が下流へと流されてきたためらしい。かつては上流に棲息していた蛍が大挙して下流へと移動した形である。都会から遠くない豊田市内の蛍の話題は新聞にも紹介された。私達も記事につられて出かけたが、蛍と共に人も多かった。一人のおばあさんが蛍を捕まえては孫の虫籠に入れていた。蛍狩りは彼女の時代の風物詩であったが、今や郊外でも蛍は貴重な存在である。かつてなら微笑ましい情景の筈が、顰蹙を買う所業として非難の目に曝されていた。それに気付いていない彼女を見るのが辛かった。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)六月号(通巻七六五号)

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蝉の声

川井正雄  

          トランプの札切るやうに山の蝉   島春
          サッシ開ければ落ちかかる蝉の瀑  同

 夏ともなれば、山も里も蝉の声で満たされる。鳴くのは雄だけで、そのお腹は空っぽに近く、共鳴箱の役割を果たして、体に似合わず大きな音を響かせる。蝉はそれぞれに特徴的な鳴き声にその存在感を示し、ミンミン蝉、ニイニイ蝉は鳴き声がそのまま名前になっている。

          墓地は要塞の如し熊蝉油蝉  島春
          蜩や文化に遠く寺寂びぬ   かすみ

熊蝉や油蝉は騒々しく、カナカナと鳴く蜩は物悲しい。ツクツク法師もその名の如くオーシツクツクと鳴く。毎年、夏休みも終わりが近い頃に聞いた声で、そのせわしい鳴き方に、今でも子供時代のあの侘しさが蘇る。

 東南アジアには随分大きな蝉が居るが、世界中どこでも我が国のように蝉が身近に居るわけではない。お土産の希望はと尋ねられた外国の偉い方の答が「あの歌う木が欲しい」であったというまことしやかな話もある。

          街中のここを先途と蝉成る樹    島春
          森の木々根張り地を吸ひ蝉降らす  同

確かに、蝉と木は一体化している如き感がある。

 生きとし生けるものには死が訪れる。声が密に降ってくるその下では、また蝉の死に様をもよく目にする。謳歌を終えた身の片方の翅を蟻達が運んでいたりする。 

          落ち蝉のせんべい緑濃き車道  島春

 蝉の抜け殻、空蝉は決して死骸ではないが、却って儚さ、哀れを感じさせる。何年もの長い地中生活を終えた幼虫が、地上へ旅立つ際に脱ぎ捨てた最後の衣である。

          蝉の殻すがる洋種の蔓のもの  島春

中身はとっくに世を去っても、この世への未練を示すが如く、いつまでもしがみついている。

 地中を動くのに適した固い殻を被った幼虫は、私たちが見慣れている蝉の姿とは程遠い。まったく別の生き物のごとき見事な変身ぶりであるが、実は見掛けほどには中身は変わっていない。殻を脱いで翅が伸び出たが、体の造作の基本は保たれている。青虫がやがて蝶になるように、蛹の状態の間に、内部の形態が完全に変わってしまうのとは対照的である。幼虫時代を水中で過ごす蜻蛉も、羽化の前後で外見はかけ離れているが、蝉と同様に、蛹時代を経ることのない不完全変態の昆虫である。

 組織改革などやらずとも人員の重点的配置で有効な成果が得られることを蝉や蜻蛉が示しているのかも知れない。一方、鳴り物入りの刷新は名前だけで、内実は旧態依然といった話も官公庁などではあるようだ。完全変態という抜本的改革が待っている蝶や甲虫類の幼虫と区別するため、蝉などの幼虫を若虫と呼ぶこともある。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)七月号(通巻七六六号)

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蝉捕り

川井正雄  

          島の蝉籠に詰め込み乗船す   島春

 虫捕りと水遊びが代表的な夏休みの遊びであったが、蝉捕りの思い出にも時代の流れを感じる。子供のお小遣いで買えた網は、小川で鮒や泥鰌を追いかけるためのもので、底が浅く蝉捕りには向かなかった。葦の竿の先に塗り付けた「鳥もち」に蝉をくっつけるのが安上がりであった。その粘着力は強力で、鳥の字が示すように、木の枝に塗っておいて目白などの小鳥の脚を捉えて捕まえることもできる。「もち」の方は黐という難しい漢字で、黐の木の樹皮などから作られていたが、食べる方の餅の語源でもあるという。粘着性の物質で昆虫を捕まえるという点は、台所の隅において蜚蠊を捕まえるヒット商品と同様である。現在の粘着剤は化学合成品で、これを用いる鼠捕獲用のセットも市販されている。

 なお、竿の先の針金の輪に蜘蛛の巣をつけるという方法もあった。巣を張って獲物を待っていた蜘蛛にとっては、生計の手段を壊されて迷惑至極であったろう。今では蜘蛛も減っていて、とても蝉を捕まえるに十分な量を集めることは出来そうにない。

 蝉捕りに限らず、他の虫でも、沢山居るのは捕まえ易く、少ないのはすぐ逃げられる。警戒心が強いのは、自己の希少性を自覚しているのかと子供心に思っていた。今にして思うと、同種の仲間というかライバルを意識するあまり、人間への注意が疎かになるからであろう。

          慈照寺や山茱萸の実に空蝉も   島春

 蝉が鳴いている辺りは、抜け殻も多い。地面には沢山の孔が見つかるが、地中から蝉が出た跡である。ちょっと変わった蝉捕りの方法を最近になって知った。捕まえるのは地中の幼虫であり、探すのは地面の孔である。蝉が出た跡の大きな孔に混じって、遠慮がちな小振りの孔が見つかる。長い地中生活を終えた幼虫が、地上へと旅立つに当たり、先ず様子見に開けた孔である。中には幼虫が居て、羽化が安全となる日暮れを待っている。その孔へ水を注いでやると、幼虫が顔を出してくれる。最後の午睡を楽しんでいて寝込みを襲われ慌てたのかも知れない。それを摘まみ上げて虫籠に入れておけば、翌朝には羽化を終えた成虫とご対面である。同僚が細君から聞いたという思い出話に従って、半信半疑ながら試みてみた。未通の孔を見つけるのに少しは注意力が要るとしても、確かに、いとも容易な採集法である。

 しかし、寝ている間に羽化が終わってしまうのは勿体ない。土中生活を終えその殻を脱ぎ捨てる幼虫から、空翔るための翅が伸びてくる様は、生命の神秘を感じさせる。子等には、翌日が丸一日寝不足になってしまおうとも、感動的な蝉の羽化の一部始終を見せてやりたい。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)八月号(通巻七六七号)

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水は巡る

川井正雄  

 方丈記の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」そのままに、川の水は目の前を行く。

          行く水の暮色鶺鴒点じつゝ   かすみ
          薄野を映じて還らざる大河   同

 過ぎ去った水は、いつの日かまた戻ってくるであろうか? 淀川の水は、蕪村の「春風や堤長うして家遠し」の句碑辺りで毛間閘門と淀川大堰に別れるが、やがては大阪湾に達する。さらには、黒潮に乗って世界を巡るかも知れない。一滴の水も、まさに天文学的な数の水分子よりなる。計算上は、わずか盃一杯ちょっとの水で、太平洋の隅々まで一立方糎に一個ずつ水分子を配ることができる。今、眼前を流れ行く厖大な数の水分子のうちのいくつかが、大空の雲や、雨滴を経て、ジョッキを充たすビールの中に現われ、飲み干した私の血管を巡るということは十分にあり得る話ではある。

          扇形に海見るや岬に陽炎ひ    島春
          虹まぶし細雨海より吹かれつつ  同

 水は様々な形をとりながら地球を旅する。蒸発して水蒸気となると無色透明で目に見えないが、時には陽炎として景色のゆらぎにその存在を示す。虹もまた見えないけれども見える水である。水蒸気が凝縮してできた水滴は小さ過ぎて見えないが、反射される光の屈折の違いが色を見せる。一方、霧、霞、靄などは、辛うじて目に見える程度の大きさになった水滴の集まりである。

          飛行雲曳かれ地上に蝶乱れ    島春
          飛行雲瞬時に引かれ秋澄めり   かすみ

 青空に生じる白い筋は微小な水や氷の粒である。ジェット燃料の排気ガス成分が核となって生成する。ロマンある光景は、航空機による環境汚染の実況でもある。

          永劫の過去を未来へ滝落つる   かすみ
          流れ行きしものや又この滝に見ゆ 島春

 滝の近くで爽快感が得られるのは、滝のしぶきから生じるマイナスイオンの効果との説がある。しかし、その実体は科学的な実証から程遠く、マイナスイオンの健康増進効果等は、非科学、疑似科学(似非科学)の領域に属する。怪しげな商品の宣伝が目的ではなく、真面目な研究の場合には、非科学ではなく未科学と呼ぶべきとの指摘はある。滝の効果は、微少な水滴が肌に触れる清涼感や、その風景と周囲の雰囲気が精神的に良い効果を与えると考えることにより合理的に説明できる。

(註)水分子は不変ではなく、実際は隣接する水分子の間で水素原子の交換があり、真の元の水分子に出会う確率は低い。/呪いや祈祷は非科学的であるが、科学用語を用いないので偽科学ではない。/マイナスイオンは和製英語で、負電荷を持つ粒子の科学的呼称は陰イオン。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)九月号(通巻七六八号)

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味の世界

川井正雄  

           秋の草花甘酸*苦その色に    島春
                (*は「酉咸」、全体で1文字、酉がへん、咸がつくり)

 勿論、ここでの甘酸*苦は実際の味ではない。季節を問わなければ、甘味、酸味、苦味を呈する植物は種々思い浮かべることが出来る。塩辛い植物も無いわけではない。長い間、この四つの味が基本味とされていた。花の色をはじめ、すべての色合いが三原色の組み合わせで再現できるように、これら四種の味を組み合わせることによって、すべての味が作り出せるという考えである。

 百余年前に我が国で昆布出しの旨味成分が解明された。グルタミン酸塩であるが、この味は前記の四つの基本味の組合わせでは作り出せない。欧米人は味に疎いのか、それとも日本人とは味覚の感性が異なるのか、第五の基本味として、この旨味、すなわち「味の素」の味が世界的に認められるようになるのは一九八〇年代のことである。UMAMIは日本発の国際語として、キモノ、カラオケ、ツナミ等の仲間入りを果たしつつある。

           舌頭にあたたまる飴寒の月     島春

 かつては、舌の先端部が甘味に関して敏感であるなどとする味覚地図なるものが信じられていた。味蕾細胞やそこに存在する味覚受容蛋白質の構造の詳細が明らかとなった現在、舌の部位によって味感覚に大きな差異はないことがわかっている。一つの味蕾の中に種々の基本味受容体が混在する。それぞれの味蕾は甘味や苦味等の一種類の味を感じるという説もまた過去のものである。

           雨が洗ひしゆすら梅なり舌の上   島春
           夏茱萸にくすぐったいと喉ちんこ  同

 ゆすら梅なら頬張ってもよいが、茱萸の実の場合は舌がざらついてくるので、そう沢山は食べられない。渋柿などもそうであるが、渋味はタンニンによって舌の粘膜の蛋白質が侵されて生じる感覚で、普通の味覚と同列のものではない。唐辛子や山葵の辛みも、粘膜への刺激であって味覚というよりは痛覚に近く、味覚蛋白質とは無縁で、これらを基本味に加えることはない。

 味覚には個人差があり、同じものを口にしても、同じ味を感じるとは限らない。極端な例として、大抵の人にとってフェニルチオ尿素という合成分子は非常に苦いが、まったく味を感じない人も居る。アメリカの科学雑誌の付録にあったこの粉末を夫婦で舐めてみて、こんな味のわからぬ夫に食事を作り続けてきたのかと離婚騒ぎになったという話もある。何種類もある苦味受容蛋白質のうちの一種の中でのアミノ酸のちょっとした変異によるもので、日本人には少なく、一割程度かそれ以下である。おそらく普通の食事では、味覚に大きな違いは無い筈である。知らなくてもよいことを知ることが幸せにつながらないことを示す例とも言えよう。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)十月号(通巻七六九号)

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酸いも甘いも

川井正雄  

 ミラクルフルーツと呼ばれるアフリカ産の果物の果肉を噛みしめた後では、口に含んだ酸っぱいものが甘く感じられる。言わば、レモンがオレンジに変身する。口に残っていたミラクリンというほとんど無味のタンパク質が酸性では形が変わって強烈な甘味を示し、レモンの味自体は不変ながら、その酸味は隠れてしまう。

 「酸いも甘いも噛み分けた」人は、世間の微妙な事情や人情の機微に通じている。単純には酸味は不快、甘味は快である。アメーバのような原生生物の棲む水に酸を一滴たらすと、彼等は酸から遠ざかる方向へ逃げるが、逆に肉汁の一滴には惹き寄せられてくる。有害物質を避け、必要なものを摂取する行動であるが、私たちの味覚は、このような環境への対応の進化した形であると考えることができる。酸味は腐敗物、苦味は毒物の味であり、甘味はエネルギー源、新たに基本味の仲間に入った旨味は体を作る滋養物を示すものである。

          水飴のごとき時間や昼寝覚    島春
          飴といふ語感も舐めて寒の雨   同

 甘い心地よさは、素直に万人が感じ得るものであろう。しかし、本来は体に良いはずの甘いものも、物の豊かな現在では、むしろ食べ過ぎによる健康への影響の方が話題となる。糖分によらずに甘味を得る手段として、先に述べたミラクリンの有効利用が期待されている。

 味覚が、大まかには理にかなった進化の結果であるとしても、美味しいものが体に良いとは限らない例には事欠かない。イボテン酸は毒茸の成分で、中枢神経系に作用して精神錯乱や幻覚を引き起こすが、顕著な旨味を呈する。その道の通は、この有毒アミノ酸を含む天狗茸類の適量を鍋に入れてその美味を楽しむとも聞く。

          それ以後の煎じ薬のやうな汗   島春

 良薬は口に苦しで、不快な味が常に体の敵とは限らない。また、もともとは避けるべき指標である苦味や酸味も、食の味わいを深める重要な要素である。ホップの利いてないビールは頼りない。寿司に代表されるように、かつては酢は食品の劣化を防ぐ添加物であったろうが、台所から食酢が消えれば、それこそ味気なかろう。

 子供の舌は単純であるというか、素直であって、甘いものを好んで受け入れ、苦いものや酸っぱいものは苦手である。年とともに、例えば牛蒡のように苦くて複雑な風味を呈するものの味がわかるようになってくる。

 酸いも甘いも噛み分けるは、表面的な理非善悪の区別を意味しない。良いものと悪いもの、善人と悪人などと、世の諸々は単純には割り切れない。幅広い経験を経て世間を知り尽くし、奥深いところでの人の値打ちや人の罪深さなどがわかる大人の見識を指す言葉であろう。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)十一月号(通巻七七〇号)

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白色考

川井正雄  

 水や空気が美味しく感じられる時は幸せである。しかし、本来は無味無臭の筈で、もし真水に味があれば、有害無害の物質が混じっていても気付くのが困難であろう。空気にしても然りであって、余分の混じり物の無いスタンダードとしての無臭である。無色は文字通りに色が無いことで、無色透明という言葉が頭に浮かぶ。

          無色無地のコップにミルク桜餅  島春

色の着いてないグラスに白い牛乳が入っていて、傍らの桜餅が彩りを添えている。白色は無色と同義語に近い場合もあるが勿論別ものである。余分な色がないのが白であり、実は白色はすべての色が合わさって出来ている。

          寂しさの極まり冬の花白し    かすみ
          黄菊白菊紅菊と嗅ぐ目を閉ぢて  島春

純白の花弁は色素を欠いていて、受けたすべての光を返す。一方、赤や黄色の花はそれぞれの色素が光を吸収する。スタンダードの白からのずれとして、私たちは吸収されて減った光の分をその補色として感じ取っている。

 空気や水と同様の自然の中でのスタンダードとして、太陽光が白色光である。雨後の虹は、日光が多くの色の寄せ集めで成り立っていることを示してくれる。白は全き色で、すべての色が過不足なく揃った状態である。朝日や夕陽が赤いのは、短波長の青や紫の光が空気中の微粒子で散乱されて減っているからである。

          窓は青天白日のうち年詰まる   島春

夕焼けとは裏腹の現象で、晴天の空は青い。地球をかすめて宇宙の果てへと進んで行く太陽光線の一部が散乱されて、余分の光として地上に降ってくる。

 数年前に右目だけ白内障の手術を受けたが、左目と較べて白色の見え方が違う。今まで全き色と信じ込んできた純白の布や白紙は、実は濁った水晶体を通して見ていたもので、短波長の光が長波長の光よりも多く散乱された結果、ごくわずかに黄色みを帯びていた。手術後の目に映った真の白は、今までの誤ったスタンダードに短波長の光が加わった結果の青白く新鮮な白であった。

          散るために咲く山茶花の白さとも かすみ
          白足袋の汚れ紅葉見の疲れ     同

 無垢の白も、やがては黄ばんだり、茶色味を帯びてくる。そのような黄ばみを感じさせない工夫が蛍光増白剤入りのワイシャツの類である。目に見えない紫外線を受けて青白い光を発し、汚れで失われた色を補う。

私の今のスタンダードは両目の中間にある。右目には言わば蛍光増白剤入りの世界が映っているのに対し、左目だけで見た白紙はわずかだが汚れて見える。無意識の色眼鏡を通して世間を見たり、それとは気付かぬ間に基準がずれてしまうなど、別に珍しい事とも言えまい。

掲載:「春星」平成二十三年(第六十六巻)十二月号(通巻七七一号)

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