「我が家の虫たち」
かつて昆虫少年だった頃のノスタルジアが募ったということなのか、定年退職とともに豊田市を去ることになる前の2、3年間、我が家では結構いろいろな虫を飼っていました。
鳥が種を運んできたのか、豊田市の我が家の庭にはいつのまにか桑の木が大きく育っていました。それで、高校と中学で理科を教えている家内に頼んで教材用のカイコ(蚕)を入手してもらって、飼ってみることにしました。小学5、6年生の頃に飼っていた時の思い出が懐かしかったからです。
カイコは日に日に大きくなって、食べる桑の葉の量も飛躍的に増えます。夜中に起き出してみると、たくさんのカイコが一斉に桑の葉をかじる音が結構大きいのも新鮮な驚きでした。子供の頃のお小遣いで買えたのはせいぜい5、6匹だったので、音についての記憶はありません。百匹近いカイコに食べさせるには、我が家の1本の桑の木では到底足りなくなり、桑の葉を集めてくるのは大変でした。大きく育ったカイコが繭を作る姿は感動的でした。やがて、蛾の姿に変身した成虫が、繭を喰い破って出てきました。交尾した雌の産んだ小さな卵から数ミリにも満たない幼虫が這い出て来るさまに心踊らせました。また、一部の繭は、残酷ながら、まだ中味が蛹の間に熱湯で煮立てて、ほぐれた繭から絹糸を巻き取ってみるといったこともやってみました。
庭の一画に、腐葉土を集めてカブトムシ(兜虫)の幼虫を育てました。近くの霊巌寺の裏山でつかまえてきた成虫を土に放し、逃げていかないようにネットを張りました。それらの虫たちが産んだ卵はすくすくと育ち、翌春には、丸々と太った数十匹の幼虫に変身していました。下の写真は、土の中から掘り出した幼虫ですが、大きさがわかるように、トランプのカードが一緒に写っています。ネットをかぶせていたのは卵を産ませるときだけで、あとはネットをはずしました。夏になって羽化した成虫が出てくる頃には、逃げていかないようにと、市販の昆虫ゼリーを置いたり、すぐ横の椿の木の幹に蜜を塗ったりしました。そんな努力も虚しく、我が家で産まれ、我が家で育った虫たちは、我が家には居着いてくれませんでした。隣の家の子には、土の中から掴み出した雌雄1匹ずつをあげました。男児なのに繊細な子で、自分で土の中に手をつっこんで探し出すという楽しみは味わってくれませんでした。残りのカブトムシは1匹残らずすべて、もともと親たちが棲んでいた山へ飛んで行ってしまったようで、土の中を調べても、成虫も卵も見つかりませんでした。
実は、三十年ほど前に東京都の町田市に住んでいた時、やはり近くの雑木林で捕まえたカブトムシを飼育箱で飼っていました。親虫が死んだ後には、まん丸で青白い奇麗な卵が十数個が残されていて、やがて幼虫の姿となりました。観察の興味が薄れて放置していた頃に大雨に遭って、気付いた時には縁の下に置いていたプラスチックのケースは水浸しでした。可哀相なことをしてしまったとの悔いがずっと心の隅にひっかかっていました。でも今度は、過去の教訓を生かして土の上で育てることにしたのが良かったと、少しは罪滅ぼしができた気分になれました。
大学の同僚には虫好きの先生方も多く、その一人からは、オオクワガタ、ヒラタクワガタ、アンタエウスオオクワガタなどの成虫や幼虫をいただきました。なお、幼虫の時期から育てたオオクワガタ(♂♀各1)は、故郷の枚方に戻ってからも、しばらくは飼育箱の中で生き続けていました。枚方に引っ越した最初の夏、庭の古い樫の木でヒラタクワガタを見つけましたが、我が家で育ったものではなさそうです。確かに子供の頃の記憶では、枚方ではミヤマクワガタが多くて、ノコギリクワガタは少なく、ヒラタクワガタは稀でした。下の写真は主に、帰郷後に撮影したものです。